12月1日
ボスメガネに連れられてバックパックに新しいタグをつける。JFK国際空港行き。ようやく、だ。
14時ごろにエディハド航空のある別のターミナルに移動するバスがくるから、それまでラウンジで待っていろと言われて僕はやっと休むことができた。
スーダン人のおっちゃんは完全に寝過ごして飛行機を逃したらしく、呼び出しの声が小さかったんだと小さく文句をこぼしていたが
「まあ、こうやって飛行機が変わることで何か悪いことを避けているのかもしれない。それにエディハド航空は中東ではトップクラスのエアラインだしな。何かいいことがあるかもな」と前向きに笑っていた。
なんと飛行機の検査技師なのに飛行機に乗り遅れたというこのスーダン人のおっちゃんはフランクで明るくて、一緒にいるとすごく安心する人物だった。
おっちゃんは「腹が減ったのに飯もないのか」とラウンジの若い兄ちゃん達に文句をいいランチボックスを手に入れて、僕にもそれをひとつくれた。惚れる。
(旅先でいいおっさんには本当によく出会うのになんで女性には出会わないのか。)
しばらく待っているとバスが来た。
なんとバスは僕ら2人の貸し切りで、本当に囚人の護送みたいに僕らは仰々しく運ばれていった。
裏口からターミナルに入り荷物検査をする。と、おっちゃんが思いスーツケースを持ち上げたそのとき
「うあ!」とおっちゃんが叫んだ。
見ると、左手の人差し指がぱっくりかなり深く切れている( ゚д゚)
えー!なんで!と手元を見ると、なんとおっちゃんのスーツケースの持ち手のところの記事が破れて中の金属が露出している。どうやらそれで思いっきり深く指を切ったみたいだ。
なんつーバッドラックかー!こんなに続くともう、怖い!
「悪いことは重なるもんだな…」おっちゃんはそう言い残して医務室に去っていった。そして僕は1人になった。
パスポートを預けろと言われて、ボーディングタイムまで指定された場所で待つ。おっちゃんがくれたランチボックスを食べて僕はやっとサウジアラビアから出れる、と喜んでいた。
しばらくすると左手に包帯を巻いたおっちゃんが戻ってきた。
相変わらずニコニコしているおっちゃんは包帯が長いといって、いらない部分を鍵で切り取った。

残った部分でスーツケースの金属が露出した部分を覆ったらいいんじゃないか、と僕がいうといいアイデアだといって持ち手のところをぐるぐる巻いた。
おっちゃんはたくさんスーダンの話をしてくれた。なんでもエジプトとスーダンはかつて一つの国だったらしく、スーダン国内には40個ものピラミッドがあるんだそうだ。そして二つのナイル川が合流し「ブルーナイル」となり、そりゃあもう美しいんだとか。
おっちゃんが学生時代を過ごしたインドの話なんかをしてるうちに、搭乗時間は来た。
「それじゃあ、いいフライトを」
そう言われてチケットを手渡された時、もう嬉しくてガッツポーズをしそうだった。
飛行機は定刻通り飛び、ドバイでの5時間のトランジットを難なく過ごし、UAE出国時にアメリカの入国スタンプをもらった時には「うおー!」と雄叫びをあげたいくらい嬉しかった。
二階まで客席のあるジャンボ機は15時間かけてアメリカ東海岸、ニューヨークへ飛んだ。機内は狭かったがそれなりに快適に過ごせた。乗客のほとんどが何故かインド人で、機内食が三食カレーだったこと以外は文句はなかった。
ビーフ?ベジ?フィッシュ?って結局どれもカレーかよ!って感じだった。
モロッコ、カサブランカ空港についてからおよそ50時間。長かった。
僕はようやく、アメリカの地を踏んだ!