1月28日
ナポリからローマへ朝の列車で帰ってきた。
スーツケースが大きすぎて、鉄道会社のお姉さんに怒られた。これはもうどうしようもなくて、スーツケースを車両連結部に放置しての旅となった。
そういえば列車のチケットチェックのお姉さんにも汚いものを触るような感じでチケットを人差し指と親指でつままれた。
なに?何の日?差別?
と思っていたけれど、思い返せばこの頃「コロナ禍」の本当に発端がイタリアで始まっていたころだったのだ。
もしかすると、アジア人への偏見がこういう形になって現れる時期だったのかもしれない。
明日朝のフライトでハノイに帰るので、ローマ中央駅近くの小さなホテルに泊まった。
そこからはあてもなくローマ市内をフラフラ。
この日もかなり歩いた気がする。
ローマ市内は大きな公園が沢山ある。
娘は動物が大好きなので、ボルゲーゼ公園近くの動物博物館(剥製とか沢山置いてるところ)に行ってみた。
ここはまあまあ。こども連れは楽しめるかな。
そのあとはボルゲーゼ公園を歩いてぬけて歩いていく。
晴れてたらもっとボルゲーゼ公園よかっただろうなー。
南のテルミニ駅に歩いて向かう。
ローマは、子連れでもこれだけ歩いて回れるのだから一人旅ならほとんど足でいけるんじゃないだろうか。
アルチザン通りみたいなところを事前に調べていたけれど、実際にはギャラリー通りになっていて趣だけ楽しんだ。
カフェで一服。
コーヒーは美味しい。パンは甘すぎる。
ローマもいいとこなんだけど、もうナポリが恋しい(´-`).。oO
最後の晩餐は日本人にも人気だという家庭的なイタリア料理のお店へ。
僕らにはどれも美味しかったのだけど、少し塩からくて娘がひとくちで
「ネェー、これ美味しくないよー」といったのには夫婦で爆笑した。
美味しくないなんていままで、生まれていままで一回も言ったことなかったのにこのタイミング!?
シェフのおっちゃんごめんなさい。ちゃんと美味しかったよ。この子は薄味育ちだからな。。笑
息子は机に備えつけられてたプリッツみたいなのをポリポリ食べてた。君はなんでも食べますなあ。
宿に帰る前にスーパーでお土産を調達。
パックの白ワインとアンチョビペーストはなかなか良いお土産になりそう。コスパも良い!
僕自身は、プロチダ島でこの旅はすべて満足できていたので、この日は余韻に浸りながらやんわり過ごしていた。
小さい子をつれて家族で旅をするのは、身体中バキバキになるし、フライトは大変だし、ムーディーなレストランには入れない。
けど来てよかった。「こどもたちは覚えてない」とよく言われるけど、ぼくらは僕らが来たいから旅に来ているのであって、こどもはむしろ巻き込まれているといっていい。
忘れようがなんだろうが、そんな風に考えた事もないしこれからもないだろう。
次はモンゴルとかで、ユルトで一週間くらい過ごしたいなー!という僕のよこで妻は「海がいいなー」と言っていた。
まだまだ行ったことがない場所がある。
旅の形が変わっても、その事実が僕たちをいくらでもわくわくさせてくれる。
翌日、モスクワ経由ハノイ行きの飛行機は心なしか大勢の中国人が乗っていた。
コロナが始まってすぐ。
もしかすると、経由することで第三国へ逃亡していたのかもしれない。
帰国した僕たちはコロナ禍のなか、ベトナム政府の厳しい政策に巻き込まれていくことになるのだった。
そしてイタリアは、あれよという間に大変なことになってしまった。
「いっていてよかった」と思う反面、あの街がいまは大変な事になっていると思うと悲しい。
また、イタリアに遊びにいきたい。
一刻もはやく、コロナ禍が終息して陽気で平和なイタリアが戻ってくることを祈っている。
ちなみに、帰りの便ではハノイには無事にスーツケースは届いていた。
---踊る髭の冒険
イタリア編 完