ニューヨーク①〜マンハッタンを歩く〜
12月1日
はーるばるーきたぜニューヨークー!!
高校を卒業した3月に来て以来なので12年ぶりになるニューヨーク。当時はニューヨークの高校生と「安全」について考えよう、みたいなその名もSafety projectというのに参加する一環で来たニューヨーク。
あの時ニューヨークの町は僕の価値観を大きく変えた。メトロの車内で踊るパフォーマー、ハーレムのゴスペル、タイムズスクエアのトイザらスの中にある観覧車、そしてブロードウェイのミュージカル。 こんなに歩いているだけで「楽しい」場所があるんだ!
若かった僕は見るもの全部に心を奪われていた。
30歳になった今、自分がこの町で何を感じるかというのは興味があるところだった。
グランドセントラル・ステーションというマンハッタンの中心までいくシャトルバスに乗り、いざ街へ。
ニューヨークでは高校の友達の家に泊めてもらえることになっていて、彼との待ち合わせが午後20:00なので僕は8時間くらいNY観光ができる時間があった。
とはいえ、50時間一度も安心して横になっていない状態で美術館にいったりできるテンションではなかったので、とりあえず事前に調べておいた荷物を預かってくれる場所へ行き、大きなバックパックを預けることにしていた。
グランドセントラル・ステーションで降りたときNYの摩天楼の風景につい「うわー」と感嘆の声をもらしてしまった。
ついにアメリカに来た。
42stで降りたので、荷物を預けに少し歩いてそこからタイムズスクエアへ。少し雨が降っていたけれど歩けない程でもなかった、まりもが届けてくれた新しいぼうしがぼうしが役に立った。ありがたい。
いやーっ!やっぱタイムズスクエアは感動すんなー!なんかこうきたー!っていうな!
しばらくぐるぐる歩いてみて、12年前と同じようにトイザらスに入りあの時感動した建物の中にある観覧車とご対面。
あの頃はジェットコースターまであった気がするのは、僕の記憶の脚色だろうか。何にしろ二回目だからなのか、そこまでの感動はなかった。
タイムズスクエア付近にはものっすごいクオリティの低いディズニー系の着ぐるみが歩いてるのが目についた。
ミッキー? アナ? ミニョン?
という感じのクオリティ。しかもこの着ぐるみ達、平気で着ぐるみから顔をだしよる( ゚д゚)子どもの夢もくそもあったもんじゃない。そしてスペイン語を話す。南米からきた人たちがやっていることが多いようで、チップをせがんできたりする。
特に行きたいところもなかったのだけど、マンハッタンの南にあるブルックリンブリッジが綺麗だと聞いていたのでそこに向かうことにした。
マンハッタンは広い。身体も疲れてる。
でもそこは会えて徒歩だ。あるかねば見えないものがあるのだ。
適当に6th Aveを南にずーっとくだる。
途中中華料理屋があって、麺が食いてーなーと思ったのでよってみる。
人気店なのかしばらくするといっぱいになった。
ワンタンとダックの照り焼きの麺。
ヨーロッパ入って以来のスープの麺。うまかった。ほっとした。
そこから南へ南へ、2時間くらい歩く。
そのうちにマンハッタンは景色が変わってくる。だんだんと高いビルは無くなって、色んな国籍の料理屋が並び始めて、14st を超えたあたりでSOHOの地域にはいってものっすごい高級そうな店が並ぶ。
このあたりのギャラリーはアンディ・ウォーホルなんかの作品を扱っていて「あ、これがほんまもんのギャラリーなんや」という高級感が漂っていて入りづらい。(入れない)
やっぱり疲れてるのか歩いてるとフラフラしてきて、気分が悪くなってきたのでスタバで休憩。マンハッタンはどこでもスタバがある。Wifiも繋がるから嬉しい。
小一時間くらい休憩して、さらに南へ。
しばらくあるくとブルックリンブリッジが見えて来た。
降り続く雨の中に佇むブルックリン・ブリッジ。中々素敵だ。ただ橋を渡り始めるとクソ寒い。風が強いので雨脚も早まる。
こっから望むマンハッタンは綺麗だったけど、とりあえず僕は橋を抜けて、「ブルックリン」と言われるいわばオシャレスポットに辿り着いた。
が、しかしそのときには僕の身体は冷え切っており、もうブルックリンを散策する元気はなかった。
僕は近くのメトロの駅でカードを買い、すぐにマンハッタンへ引き返し、42stあたりをぶらついて本屋に立ち寄った。
日本の漫画はいまやかなりのものが翻訳されて出版されている。色々みてて、びっくりしたのはこの「乙嫁語り」がハードカバーで刊行されていることだ。
装丁も綺麗で日本のコミックよりこっちのほうが断然いいと思った。
少し遅くなったけれど、9月の誕生日だった僕ら2人の為に祝いのスパークリングワインをかった。思いっきりラベルに「New York」と書かれたダサダサのやつだ。
雰囲気のある駅のロビーの端っこでバックパックの上に座って、僕は友人を待った。