バンビエン周辺の村を巡る。
4月10日。
11時くらいに朝だか昼だかわからないブランチ的なものを食べて、自転車をレンタルする。
夜20時までレンタルで20000キプ。(300円くらい)店によって18時までとか色々違う。でも値段は一緒。
お尻が痛くならないようなサドルを持つベストチャリを選びたいものの、いいシートを持つやつは何故か変速があまりついておらず、悪路への恐れからお尻を犠牲にして変速機能を選択。
これが僕のお尻を帰らぬものにしてしまうのであった。

とりあえずインフォメーションで買った地図を頼りに川沿いを北へ向かう。しばらくいくとPakpoという小さな村があるはずでここは韓国人の友達から話を聞いたことがあるところだった。
この辺りは韓国の団体や企業が学校をたてたり、人を送ったりと色々な形で支援をしている地域みたいで、実際この日もたくさんそういったところを見た。

VangViengからしばらくいくといったん街がとぎれて、また進むと集落があらわれて

途中でPakpoはどこ?と聞くともうちょっと先を左、と教えてくれる。

この人達は水のタンクを各家庭に交換にまわっているようだった。
1時間もしない間にPakpoに着いた!
メインの道路から自転車を押して少し中にはいっていく。

何もない小さな村だった。

ピーマイラオ前だからなのか、こういう形の飾りが門前に飾られていることが多い。
村をブラブラしてるとおばちゃんがおいで!と呼んでくれた!

村の中心の憩いの場みたいなところに村人の皆さんが集まっていて、果物(野菜?)をご馳走になった!

パパイヤかなあ。。緑のこれを砂糖醤油に香辛料入ってるのにつけて食べる。
身体に良さそうな味がした。
しばらく休ませてもらって「コプチャイ!」とお礼を言って僕はPakpoをあとにした。
ちなみにラオス語で
こんにちは、は「サバイディー」
ありがとう、は「コプチャイ」
美味しい、は「セープッ」
みたいだ。
だいたいこの三つを言えれば旅はなんとかなる。(あくまでなんとか、だけど)地元の人は「コプチャイライライ!」とライライをらつける。
このライライがなんか語感が可愛い。
また自転車をこいで僕は道をすすんだ。地図によるとPakpoから西のほうにNakhaeという村があってここが少数民族のモン族の村らしい。
詳しくは知らないけれどモン族は色々と悲しい歴史を背負った民族らしく。
詳しくはここ参照。戦争があるたびに翻弄されてきたのね。みんな一緒に勉強しましょう。
http://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/minority/world/minority_thailand_laos.html
まああんまりいまのラオスでは立場の良くない民族、という共通認識がラオスではあるみたいだった。
一路そのNakhae村をめざす。
これが、、、この道が

まったく舗装されていない!
バンピー!ほんとにがたがた!

しかもアップダウンがすごく激しい!
炎天下!日陰なし!
道なき道!
こんなもん自転車こげるかボケっ(´Д` )
というわけで歩く歩く。たまに下り坂を自転車に乗って下るものの、お尻が少しずつ削られていくのを僕は感じてた。
1時間くらい、歩いて、太陽が容赦無く体力をうばって、汗だくで、もうなんだか、自分の過去とかぶわーって思い出してきたとき
ようやく地図にある橋っぽいのに辿りついた。川で子どもたちが遊んでる。

もうちょいやで!村までもうちょいやで!
自分を励ましながらナッカーサーは進んだ。何よりきついのは飲み水がもうないことや。。

それっぽい村に辿りついた!
なぜかモン族の村は塀で覆われている。
中に入ってみようかと思ったが正直そんな場合じゃなかった。
道ゆく少女たちにペットボトルを、指差してこの辺で水はうってないか?とジェスチャーする。
ない、と少女たち(´Д` )
ないんかーーーーー
でもあっち、と南の方を指して教えてくれた。
地図では進む方向だったのでとりあえず僕は進んだ。
太陽がほんまにすごい。

少し進むと売店らしきらところがあった!なんとか冷たい水を手に入れる。
少し日陰で休ませてくれーーと僕はお願いした。
売店の少女は快く頷いてくれて僕はそこでしばらく休憩した。この売店では大人の姿を見なかった。というか昼から夕方にかけてはどこでも子どもしか見なかったきがする。

女の子同士が髪を綺麗に整えあってて微笑ましかった。
こういう田舎の子どもたちに「純朴さ」を見るのは僕がそれを見たいと思っているからなのだろうか。
なんにしろ綺麗な目をした子どもたちだなあ。と思った。
しばらく休ませてもらって僕はまた道を南に下った。
道は地図通りだ。というか道なんてそんなにないから迷子になりようがない(*_*)

なんかむっちゃ頑張って地図にある「滝」を見に行ったけどほとんど水なかった。畜生!
まあ乾季だからね!
またしばらくいくとNaduangという集落に辿りついた。


牛が道をふさぐ。意外にすぐどいてくれる。
ゆっくり進んでいると向こうから鉄砲を抱えた少年の集団が!!
彼らは不敵な笑みと共に僕に近づいてくる!
そう、ラオスの水かけ祭りこと「ピーマイラオ」はもう始まっているのです!
水鉄砲(´Д` )!

びっちゃびっちゃにされることを僕は覚悟した。なんなら「こい!」というくらいの気分だった。
ラオスに来たときから覚悟はできていた!
びょー!っと水鉄砲を発車する子どもたち!


しかしなぜか遠慮がちに足にかけてくる!なんでや(´Д` )思いっきりやったらんかい!
「来いよ!」
というジェスチャーも虚しく少年達はスタスタいってしまった。
こりゃあれだな、たぶん「旅行者はカメラとかもってるから、あんまり勢いよく攻めちゃだめ」っていうおふれがお母さん方からでてるな。きっと。
「もっと水かけられたかったのに…」
そんな思いを胸に29才ナッカーサーは一路バンビエンの街に帰っていったのでした。
もちろんここから街までの道も悪路中の悪路で、血尿でるんじゃないかってくらい、お尻は召されてしまいました。
日本の皆さん!
道路がちゃんとあるのは素晴らしいことなんやで!
お尻が割れても、じっとはしていられないので明日は洞窟探検に行きます。
コプチャイライライ!