インドへ。
8月19日。




13:20 の関空発の飛行機、北京行き。
僕はいつも通り早めに空港について飛行機を待っていた。
北京まで3時間半、北京空港で乗り継ぎ待ち4時間、そこからデリーまで7時間半のフライトである。うーん、長い。
「こんにちは。一人ですか?」
北京行きの機内で隣になったのが中華系美女だった、といううまい話は無かった。話かけてきてくれたのは中国から日本へ留学してきている楊くん(23歳)。

鳥取で地域政策の勉強をしているという彼は流暢な日本語で色々と話した。おかげで機内は退屈せずにすんだ。
中国で高校を卒業してすぐに日本にきて語学学校で日本語を学び、そのまま日本の大学を受験し合格した楊君。今回は帰省するようだ。
「昔ほど日本に留学する人も珍しくなくなってしまったから、そんなにアドバンテージにもならないんだけどね」
楊君が話のなかで「兄」や「弟」という単語を使うのが一人っ子政策世代の彼にしては不思議だなと思っていたのだけど、話によると一人っ子政策以降の世代は、いとこ同士を習慣的に「兄弟」と呼ぶようになったんだそうだ。
さらに不思議な縁で、なんと彼は剣道、居合道の経験者だった。
「僕、昨日も公園で素振りしてたよ!」とひとしきり盛り上がると、
どこにいっても稽古ができるのはありがたい。剣道は中国でも盛んなんだそうだ。

北京の町が近づいてきた。北京にくるのは初めてだと僕がいうと、「最近は空気も綺麗になってきているらしいですよ。共産党が本気をだせばこんなもんですよ」と楊君は言った。
北京空港について僕は乗り継ぎの飛行機に乗るため楊君と別れた。
「また、大阪で飯でも食いましょう!」
背の高い楊君は大きく手を降った。
トランジットのみの滞在なのでスタンプは航空券に押してくれた。インドの後の中国への旅路の為一ヶ月の中国VISAを取得していて、パスポートにスタンプ押されたらややこしいなーと思っていたので一応その旨は伝えたら、すんなり上手くいった。
フライトまでかなり時間があったので、充電のできる椅子の近くで一眠りする。しばらくすると頭のほうでガサゴソと音がして目が覚めた。
エンジの色のターバンを頭に巻いた明らかにインド人なおじさんが充電をしようとしていた。
なんというかこの人の見た目は僕のイメージの中の「ザ・インド人」だった。
「インドの人ですか?」
どうみてもインド人なおじさんに僕はそう聞いた。
いかにも、とおじさんは頷いた。
ぎょろっとした目を見開いておじさんはしばらく僕と話をしてくれた。僕は自分の旅の話をしながら、色々とインドについて聞いた。

「どうしてインド人はターバンを巻くのか」
「これはシーク教徒だから巻くんだよ。パンジャーブという地方に私は住んでいる」
そういって彼は
インドには本当に多様な文化と言語、人々が住んでいることをSurjitは話してくれた。
しばらく話していて、僕はカースト制度のことを聞いて見ようと思った。
カースト、と発音してもなかなか伝わらないので、辞書で調べて見せた。
「カースト制度か!It's dangerous.」
ちょうど彼が話始めようとしたとき彼の奥さんらしき人がやってきて、何か話始めた。銀色のサリーを纏った綺麗な老婦人だった。
「ふむ、もういかないと」
Surjitはそういって立ち上がった。
「とにかくカースト制度は、それを巡ってたくさんの人が戦っている」
彼はただそう言って最後に、話ができてよかったよ、といって力強い握手とハグをしてくれた。
なんというかそのハグが優しく力強くて、「インド人あったかい」が僕のインドの人に対する第一印象になった。
北京→デリー間のフライトは寝ていると一瞬だった。

初めて空からデリーの街を見たときなんというか僕はドキドキしていた。
ついにインドにやってきた。
子どもの頃から憧れていた魅惑の国インドへ。