踊る髭の冒険

30歳を目前に仕事をやめて旅に出た髭の人が世界中放浪した果てに結局海外大学院留学せずに帰国→家族でベトナム ハノイ移住→その後ドイツで大学院卒業→現在はカンボジアでのらくら。

メータオ・クリニック

4月28日



メータオ・クリニック初日。



「ここは難易度Aだよ。登場人物も多いしね」


阿部先生のそんな一言が耳に残った日だった。
 
僕が今回阿部先生のはからいで歯科医のボランティアとして参加させてもらうことになったメータオ・クリニックはタイとミャンマーの国境の街このMae sotで1989年から25年以上に渡ってミャンマーからの難民に無償で医療を提供し続けている病院である。


クリニックについては以下のサイトが分かりやすいと思う。

メータオ・クリニックについて | NPO法人メータオ・クリニック支援の会 (JAM)

なぜミャンマーからの難民が発生したのか?どのようにしてメータオクリニックは運営されているのか?恥ずかしながら僕にはわからない事だらけだったが、とりあえず今日体験したことを綴っていくことにする。
 
朝11時くらいにBorderless dentistの阿部先生とオーストラリアからのDr.Kamal、Dr.Gregと合流。お昼ごはんを一緒に食べ、メータオ・クリニックへ。

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そこはまさに「命の現場」だった。


日本のどの病院もそうなのだろうけど、一般の歯科医院で働いたことしかない僕にはあまり触れたことのない空気だった。



 

外科、内科、小児科、眼科、産科、歯科と様々に病棟は分かれていて、難民キャンプから、またはミャンマーサイドから来ている患者さんが沢山いた。



義足で歩いている人がいると思えば、産気づいた妊婦さんがおり
いままさに生まれた命がお母さんの胸に抱かれていた。
 
僕たちは阿部先生に連れられてひと通り医院を見学。

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病棟だけでなく滅菌室や、手術室、義足を製作している部屋などを見学させてもらった。
 

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歯科のIn charge(責任者?)であるEh Ka Lu(エカル)や、プログラム・マネージャーの
Nwe Ni(ノニエ)を紹介してもらい、歯科の治療について色々と質問をした。

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午後は気温が暑すぎるためか、患者さんは午前中に集中しているようでゆっくりと話をすることができた。

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機材の確認をする。タービン、コントラ、超音波スケーラーはあるが、バキュームはない。横に備え付けのバケツに水を吐き出してもらう。

殆ど抜歯主体の治療で、小さな虫歯ならCR重点を行うといった様子だった。
根管治療(神経の治療)も機材はあるがあまりやらないようである。

しかし体制としてここは「病院」なので一応患者さんの病状をフォローしていくことができる。つまり、大きな炎症を抱えた患者さんの歯を抜かなくても、投薬で一度炎症を引かせて、抜歯という流れも可能なのだ。

これは僕がフィリピンの離島で参加させてもらったボランティアとは大きく違うポジティブなポイントだ。
そもそも「医療スタッフがいない」という状況とは違うのだ。

つまりそれは自ずと僕の立ち位置も変わるということなのだが。

 診療は明日からということになり、病院長のDr.シンシア,  20年の長きに渡ってこの病院の支援を続けている眼科医のDr.フランクにも紹介していただいた。
どの先生方もとてもフレンドリーでとても安心する空気を持っていた。

阿部先生たちは明日難民キャンプに向かうのでその準備をしに1度別れ、数時間後に合流。
その後、SVAという日本のNGOの事務所に連れていってもらった。


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SVAは日本のNGOとしては難民キャンプ内で唯一活動を許されている団体で、東南アジア諸国ラオスカンボジアミャンマー、また中東アフガニスタンなどに「図書館」をつくる活動をしている団体だ。

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SVAの活動について僕が学んだことは、また後述することにする。
 事務所では現地職員の菊池さんを初め、スタッフの方々に歓迎していただき、2日後の日本料理会に誘っていただいた。もちろん是非ともいかせてください´д` おでん?大好物です。

SVA事務所を後にし、Home of Heavenという孤児院に立ち寄った。

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メータオクリニックにも託児所があるのだけど、そういったところに子どもを捨てていく人も多いらしい。メータオで拾われた子や、他からここにきた子もいるが、両親のない子ども達がここで育てられている。



もともとキリスト教関係の孤児院で、現在は地域から資金の援助もうけておりなんとか子供たち皆を養えている状況みたいだ。

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僕が見たときでも40人くらいの子どもたちがいた。皆元気いっぱいで、カメラで一緒に遊んだりした。

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皆の世話をしている女性が、料理を毎日子ども達につくってあげている。

彼女がご飯をよそうと、皆本当に嬉しそうにそれを受け取って皆に行き渡るようにそれをまわす。
食べる前にはお祈りの歌を歌っていた。

これが、すごく、なんというか心を打たれる歌だった。改めて上手い下手ではなく、歌うということには力があると感じた瞬間だった。

孤児院で生きる、ということを僕は想像することもできない。
僕が彼らの人生に何かできるとも思わないけれど、少なくとも「知りたい」と思った。
どうしてミャンマー難民の人々はこういう現状にあるのか。
僕がぼくの立場で、なにができるのか。
夜、僕は阿部先生と話した。

②へ続く。