踊る髭の冒険

30歳を目前に仕事をやめて旅に出た髭の人が世界中放浪した果てに結局海外大学院留学せずに帰国→家族でベトナム ハノイ移住→その後ドイツで大学院卒業→現在はカンボジアでのらくら。

台南、サブとの再会。②

もう少しサブとの話を書こうと思う。
 

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台南で鄭成功の廟にいったときの話。ここには鳥居があるんだけど、その上の部分は外されていていま廟の片隅におかれてしまっている。
 

 
「俺な正月にここに来てあの鳥居の上のやつ、掃除することにしてんねん。あそこベンチに使われててな、なんていうか、やっぱり俺は日本人やさかいな」
 
僕はこのサブのエピソードを一生忘れない。なんというか、わけのわからない愛国心とかではなくて「心の拠り所」をすごく大切にしているんだなと感じたからだ。
 
素敵やね、と僕は言った。
 
大体、歴史だけを根拠に愛国心を語るのは僕にはちょっと理解できないことだ。現代を生きるだれにも本当のことはわからない。改竄されたり作られた歴史なんて山ほどあるはずだ。それをあたかも絶対的事実かのように掲げていがみあったり、アイデンティティを持ったりするのはよくわからない。当事者なら話は別だけどね。さらに歴史と呼ばれるものはあたかも「かつてその時代を生きていた人たちが全員そういう状態にあって、ある思想のもとに生きていた」と錯覚させる。本当はいまと同じように人の数だけ考えや関係があったであろうという想像力を歴史は排除しがちだと思う。いま「史実」と呼ばれていることは誰かのみた誰かの人生で、そうでない部分も世界には確かに存在していた、ということを想像する力を失いたくはないと思う。
もちろん間違いなく起こっていたことだってあるのはわかっているけれど。
 
 
夜の台南をふたりでぶいぶい冒険した。
途中、サブが野球の話をした。
 
「しょうちゃん、ナックルボールってわかるか?」
 
僕は野球にうとい。サブ曰くナックルとはボールに回転をかけずに投げる変化球のことで、空気の抵抗で木の葉が舞うような動きをする。
 
「完全なナックルボールを投げれた日本人はまだおらんねん」
 
高校球児だった自分の事。今でもずっと練習を続けていて、日本でプロテストも受けたことをサブは語ってくれた。
 
「プロテストはまああかんかったけどな。ずっとナックルの練習してんねん、俺。まあ、一生でけへんかもしれんねんけどな。でもな!ここにきて、台湾に来てから100回に一回やったのが3割とか4割くらいで投げれてる気がするねん。もうちょっと。もうちょっとな気、すんねんな」
 
素敵やなあ、と僕はまた言った。
サブは僕に剣道の話を聞いた。
僕は自分の師匠の言っていたことを思い出しながら、剣道を通じて「力をぬく」ということの大切さを教えてもらったと話した。
 
「それかもしれん、新しいもんが見えるかもしれん。力をぬく、か。ありがとう」
 
僕が剣道の動きをちゃんと理解してもらうのに実際に見せるというとサブは台南球場の裏にバイクをとめた。
 
僕らは小学校のときみたいに遊んだ。
 
僕は構えて剣道の動きをみせて、サブは野球の動きを解説した。
 
身体は正直だ。
運動をしている人は運動を続けてきた人の動きをみればどれだけその人が打ち込んで来たのかわかる。
 
繰り返される基本の積み重ねが生む一種の美しさをサブのバッティングフォームはもっていた。
 
もうやることないと思ってもなんぼでもやることはでてくるもんやなあ。
 
サブはそういってナックルの握りをした手の内を見つめた。
 
 
20年もあっていない友達が、世界のどこにいても、何か一生懸命になれることがあって生きているのが僕にはとても嬉しかった。
 
ここには書ききれないけれど彼はいまも少しずつ自分で勉強して、「やってみたいこと」を追うことを楽しんでいる。
 
ひとが一生懸命「ただ生きる」ということは「意識が高い」とかそんな言葉でくくれないし表現できない。社会での評価をどこまでも気にしないと生きていけないような人間では、僕たちはない。
 
 
僕はサブがナックルボールを投げれるようになる日が来るのを心から応援しているし、楽しみにしている。
 
いつの日かそんな連絡がきたらまた世界の何処かであって、祝杯をあげたい。