
面倒な国境越えを終えて歩いて辿り着いたバスターミナル。
僕はターミナルに入って、どこにいけば日本人移住地にいく為のバスに乗れるのか、ときょろきょろしていた。
「シウダーデルエステの街から41km地点」という情報だけあるものの、なんちゅー漠然とした情報なんや…という不安もあり、とりあえずバスターミナルの中をウロウロしていたのだった。
するとそこに2人、東洋人の若者がいた。
日本人っぽい!と思い僕が話しかけると彼らはやはり日本人だった。
どういう経緯なのか、そのうち1人はもうこっちに半年暮らしているらしい。
「え、イグアス移住地ですか?そこですよ、僕が暮らしているところ!」
この青年ユウヤ君は友達を見送りにバスターミナルに来たのだが、なんと彼は僕がこれから向かうイグアス移住地に暮らしているというのだ。
「イグアス移住地にいくならアスンシオン行きのバスに乗って途中で降ろしてもらえますけど…」
と彼は言った。僕がどのバスなのか聞こうとすると、そのとき恰幅のいい白髪混じりの紳士がユウヤ君のところにやってきた。
「あ、ユウイチさん。彼、旅をしてるらしいんですが、イグアス移住地にいくらしいんです。」
ユウイチさんと呼ばれた紳士はそりゃあタイミング良いねえ、と僕に向き直った。なんとなく雰囲気のある人で僕は帽子をとって丁寧に挨拶をした。
話を聞いてみると、なんとこのユウイチさんはかつてはイグアス移住地の日本人の会長をされたこともあるという、その場所では知らないもののいない大物だったのだ。

「じゃ、行きますか!」
とユウイチさんは僕を車に乗せてくれた。幸運なことに僕は日本人移民の話を聞くならこの上ないひとにたまたま巡り会い、話をする機会を得たのだった。
車内では移民の話をたくさん聞かせてもらった。
その全てをここに記すことは難しいが、実際にイグアス移住地で聞かせていただいた話も含めて、できる限り僕の知り得たことを書いておきたいた思う。
日本人のパラグアイへの移住の歴史は戦前の1939年にまで遡る。それ以前ははブラジルへの移民が主流たったがそれが制限されたことでパラグアイへの移民が始まったそうだ。コルメナ地区、と呼ばれる地域に入植したその人々はいまでもその地域でコミュニティを形成しているが、戦前の唯一の移民である彼らのコミュニティではもはや日本語ではなくスペイン語が話されているそうだ。
戦後、敗戦した日本には国民を養う十分な食料もなく国は他国の土地を買ってそこに日本人をそこに住まわせようとした。新しい土地へ向かう理由は様々だったようだ。日本に嫌気がさして新天地へ向かったもの、土地を斡旋する会社に騙されたもの、そして理想郷を追い求めた人々。
イグアス移住地にも1960年ごろから移住が始まっていた。
1969年、そこに伊藤勇雄(いとうおさお)という男が日本から移住してきた。
この伊藤氏は岩手で政治家も務めた名士だったのだが、「理想郷を作りたい」という夢を掲げて、なんと69歳でパラグアイへの移住を決意。家族を引き連れて、ジャングルを切り開くところから「理想郷づくり」を始めたそうだ。
なんとこの伊藤勇雄氏こそが僕が出会ったイチローさんのお爺さんにあたる方。
氏が掲げた「理想郷」がどのようなものであったのかは、イチローさんの言葉を借りるなら「それはもう、じいちゃんにしかわかんねえ」のだが、僕がネットで集めえる限りの情報では以下のようなものであったようだ。
・人種、文化背景に関係なく色々な人が学びあうことができる。
・農業をやりながら、座学だけでなく実学的にたくさんのことを学べる。自給自足もできる。
実際に伊藤氏は「人類文化学園」という学校を作ったらしいのだがそれについては詳しく資料がない。
「夢なくして何の人生ぞー伊藤勇雄の生涯」という本が出版されているのだが残念ながらいまはamazon先生でも取り扱いがないようだ。
興味のある方は下記のリンクを参考にしてほしい。
《伊藤勇雄の人類文化学園共働農場》
《パラグアイにおける伊藤勇雄一族》
伊藤氏の追い求めていた社会の姿は、都市から地方に移住する若者が増えている現代の日本で、いまの世代が思い描いている生活と、どこか通じるものがあるのではないだろうか。
個人的にはこの記事の中の伊藤氏の奥さんの語る
「最後まで父ちゃんはこ自分の思う通りになすった。私は世界一幸せな男の妻として、最後まで幸せに過ごせるでしょうといったら、顔いっぱいに笑顔を浮かべた」という臨終の際のエピソードが好きだ。きっと奥さんもいいパートナーとしてずっとそばで、苦労しつつも、楽しんでいたのだろうと思う。素敵だ。
車の中でイチローさんとユウヤ君は現在の移住地についての話も聞かせてくれた。
エコツーリズム(観光を通じて自然保護などに理解を深めようという考え方)
を通じてイグアス移住地を活性化させる、というのが今後の構想であるらしく、いまはイグアス湖のほとりにビラやキャンプサイトを建設中らしい。
「コミュニティを、つくる、それが建築家だと思います。それが設計士と建築家の違いだとおもう。」
と、ユウヤ君は語る。
イグアス移住地では、若者がいくら大学にいって資格をとっても地元で仕事がない、という事態も起こってきており、行く行くは雇用を生むようになれば、との思いもあるようだった。
こちらに来て7年ほどでなくなってしまったため、伊藤勇雄氏が掲げた「理想郷」は氏が生きている頃には実現されなかった。しかし、その孫のイチローさんや、氏の思いに鼓舞されたユウヤ君、意志を継ぐ人々によって、いまでもそれは道の途中にあるのではないだろうか。
受け継がれる意思が人々をどこへ向かわせるのか。
理想郷へと人々がたどり着く日はくるのだろうか。
イチローさんは僕が宿泊予定のペンション・ソノダまで送って下さった。バイタリティ溢れるイチローさんは明日からバイクでボリビア、ペルーを巡るんだと意気込んでいた。開拓者のバイタリティも、血筋には受け継がれているのかもらしれない。

辿りついたペンションソノダにはまさに「日本の田舎」の空気が流れていた。


この日僕は、地球の裏側の「日本」で、鍋焼きうどんに舌鼓を打った。
日本と変わらないその味は、僕を確かに安心させてくれた。