ブルガリア〜Veliko Tarnovo②〜
10月9日




雨やー。
雨や雨やー!
ここんとこはずっと雨やー。
雨自体はいいんだけど、景色が見れないのが残念なー。

というわけで朝から一人Veliko Tarnovoの町を探索。川沿いの旧市街を歩く。
ほんま素敵な街並みやわ。
明日ソフィアに帰るバスチケットもゲット。これまた6:15と早朝なんだけど、可能ならそこから乗り継ぎで違う都市にいきたかった。

家に帰るとMuamは仕事をしていた。
「昨日は漫画家のインタビュー、今日はケニアの社会活動家の話。なかなか面白い仕事だよ」
収入のもらえる仕事だけでなく、「自分が本当に皆に知ってほしいこと。広めたい情報。」を積極的に自分から翻訳させてほしい!と頼みにいったりするMuamの姿勢は本当に素晴らしいと思う。
そんなMuamが教えてくれた、彼も翻訳に携わってるサイトがここ。
Before They
いなくなりつつある少数民族のことを写真で捉えている。かっこいい。
昼ごはんにMuamが豆のスープをつくってくれた。昨日の材料の残りを混ぜ合わせて具だくさん!

才能あるよ、って人生で一個だけの才能ディジリドゥなんか…?

霧のかかる町を散歩にでかけた。
森を抜け、丘を登って町を見渡せる場所までいく。
実は僕はこの先の旅路を迷っていた。
なんというかブルガリアはいい国なんだけど、東欧、中欧楽しそうなんだけども、なんかピンと来ていなくて。
旅を続ける意味があるのかどうか。
迷っていたのだ。
旅を続けることで何か得るものがあるなら、旅を続けたい。
何もなくてもいい、んだけどやっぱそれじゃ楽しくないんだよな。綺麗な景色を見るのも、観光地を巡るのも、それだけだったら何の意味もない。
何かに気づいたり、精神的に成長したり。やっぱそういうところを旅に求めているんだよなあ。
そんなことをMuamに話していると彼はこう言った。
「ものすごく田舎の村で一生を過ごす人でも人生の大切な事に気づくことができる。もちろんその逆も真実だよね。動く、ってことが必ずしも大切なことじゃないのかもしれない。
I think you can move without moving.」
You can move without moving.
ストン、と心に落ちた言葉だった。
動かなくたって動ける。
そうだよな。
そんで帰りたくなったら帰ればいいんだ。僕は簡単な事を見失っていたんだ。
なんとなく進むんじゃなく、ほんまに行きたいとこに向かってみることにしよう。話はそれからやな。
そんなことを思ってからももちろんまだあれこれ悩んだんだけど、なんだか色々考えていたのはすっとした気がした。
僕がありがとうと言うと、Muamは
「こちらこそ、大切な事を僕も思い出したよ」と言った。
禅の言葉で「啐啄の機」というのがある。啐啄同時ともいうらしいのだけど、
「雛が卵から出ようとして内側から殻をつつく」のが「啐」、母鳥が雛を孵そうとして卵をつつくのが「啄」。
で、この二つが同時に起こる絶妙な時機のことを指す言葉が「啐啄の機」。
誰かが言葉をかけてくれるから、言葉がでてくる、ということがあるし、そういう絶妙な間がカラを破るのには必要な時があるのかもしれない。
帰って日本のマインドゲームってアニメを2人で見て、夜はMuamの友達も家にきて、3人で音楽聴きながら話してた。
バグダッド・カフェっていう大阪のバンドがこっちじゃ人気があるらしくてびっくり。
「なにを驚くことがあるんだ!世界中の音楽をネットで聞ける時代なのに!」
そんなこんなでVeliko Tarnovoの夜は更けていった。
明日どこにいくかも結局わからないけれど、どこかには進めるだろうか。