ラルンガルゴンパ②
ドローンって意外とちっさいんやなあ。
最悪公安に通報されたりしちゃう可能性だってある。そもそもこういうとこでドローンなんてどうなの?って話もある。
でも撮りたい。ドローンを飛ばしてみたい、っていう、好奇心にはなかなか逆らえるものじゃない。
それは見ている僕らも同じだった。
「ラルンガルゴンパ+ドローン」
が何を生み出すのか、見届けたかった。
2人がドローンをセットしてしばらくすると、1人のお坊さんが近寄ってきた。
そして興味しんしんの笑顔で「あれはなんだい?」と聞く。カズさんが手の動きで、あれは空に飛んでいくんだよ、と示すと顔をニコニコさせてその場に一緒に座りこんだ。
しばらくするとまた1人、また1人とやってきてみんな「なんだなんだ」とおじいちゃんから子どもの僧侶まで集まってきた。
僕たちが見たのは、「人間の好奇心」そのものだった。みんな「どんなことが起こるんだろう!」というワクワクを身体中からにじませて、ドローンが飛ぶのを待っている。キラッキラ眼を輝かせて初めてみるものに見入る目。間違いなく僕らはこの瞬間を、チベット僧の人達と一緒に楽しんだ!
いくよ?飛ばすよ?と両脇の2人に合図をしてカズさんはドローンを空へ飛ばした!ドローンは一旦目の前の空中で停止して、すぐに飛び上がって彼方に飛んでいった!
飛び上がったドローンをみんなが空を見上げて追う。
空からの映像を見守るひとも、どこだどこだ!と空を探す人もみんな夢中だった。
僕もしんごも興奮していた。
僕らはいま、遥かに外側に向かった文明と、深く内側に向かった文明の遭遇に確かに立ち会っている!
しばらくしてドローンが帰ってくるとマリさんがそれをキャッチした。
再生されるいま撮りたての映像に見入る子どもたち。
いやーー!いいもの見せてもらったわー!GOOD!僧侶たちは満足そうに去っていった。
いろんな批判もあるかもしれないけど、間違いなくこの瞬間、僕たちは新しいテクノロジーを一緒に楽しんだ。
僧侶たちの輝くような笑顔を僕は一生忘れないだろう。
二回飛ばして一回は上手く録画できなかったようだけど、充電すればもう一回飛ばせるということでとりあえず僕らは充電をしなごら昼ごはんを食べた。
カズさんはプログラマーで、食べながらプログラミングの話をしてくれた。
それも僕としんごには新鮮ですごく勉強になった。
話しながら僕は、新しいテクノロジーのことをもっと知らないとな、と思っていた。望む望まないに関わらず、これから世界はこれまで以上にテクノロジーの進化の波に飲まれていくだろう。きっと誰もそこから逃れることはできない。
雨が降り始めていて、ドローンを飛ばせなかったので先にラルンガルゴンパの町を歩いた。
僧院のなかでは年上の僧侶が年下の僧侶に勉強を教えていたりした。
遠くから見ると自動でずっと回り続けているのかな?と思っていた大きなマニグルマはなんと近寄ると人々が絶えることなく回し続けていた。ここは厳粛な雰囲気で、お経のようなものを唱えながら(時折歌のようにもなる)ずっと入れ替わり立ち代り、人がこの巨大なマニ車を回し続けている。
寺院の周りでは五体投地をする人々。
僕らは見晴らしのいいところを目指して家々をかき分けて登っていった。
途中でみたヤカン。太陽の光を反射させてお湯を沸かしているみたいだった。
超エコ。
頂上にはルンタが飾られているところがあった。その麓にお坊さんが1人座っていてなにか本を読んでいた。
読み終えるのを見計らってしんごが「何を読んでいるの?」と話しかけるとそ本を見せてくれた。それは何か仏教の本のようだった。大事なところをラインマーカーで線を引いたりして勉強しているのが、僕らと変わらなくて面白い。
雨が強くなってきたので、一旦山を降りた。一度カズさんたちとは別れていたのだけど、さっきの広場で合流して、晴れ間を待った。
しばらく待って現れた晴れ間!いましかないーっ!と僕らは意気込む。
さっきの広場は工事が始まったりしていてなんとも絵になりにくいのですこし離れたところにある広場でドローンを準備した。そこはさっきと違って尼さんたちばかりのお寺の前のようで、雰囲気がさっきと違っていた。
「男ばっかりの時とは大分ちがうな。。」
尼さんたちはドローンに興味を示すものの、恥ずかしがって近寄ってこない。人によっては、露骨に嫌悪感を表情にだすような人もいた。
男女でこんなに反応が違うんだなー。
と僕らは思いながらドローンを飛ばす準備をする。今度はぼくとしんごも映像にいれてもらって、ドローン発信!
さっきみたいな人だかりにはならなかったのだけど、飛ばし終わったあとには尼さんも何人か近寄ってきて「いまのなになに?!」と映像を覗き込んだりしていた。
ドローンを片付ける僕らを遠くの方から興味ぶかそうにチラチラ眺める尼さんたち。めっちゃ見てる!
僕たちの見たラルンガルゴンパは、厳粛な雰囲気の仏教寺院、ではなかった。
そこは変わりゆく時代の流れの中で、変わらない人の心の深みを見つめ続ける僧侶たちの朗らかに暮らす場所だった。
僕たちがここでみた「ラルンガルゴンパ+ドローン」で思ったことや感じたことは言葉にするのが容易なことじゃない。
批判もあるかもしれない。
でも嫌がおうにも変化は起こる。
僕はこの旅の途中に読んだ二つの本からここに抜粋を残しておきたい。
世界経済とは創造的な破壊を繰り返すしくみになっている 。それが 「資本主義の本質 」だとシュンペ ータ ーは指摘した 。新しいものが興り古いものに取ってかわる 。自動車が生まれ馬と馬車に取ってかわったように 。トヨタが登場しゼネラル ・モ ータ ーズに取ってかわったように 。テレビが誕生し多くのことが変わってしまったように 。私たちはもう夜に暖炉のそばで読書したりはしない 。それが世の常であったし 、そのしくみはこれからも変わらないはずだ 。国が 、会社が 、個人が興ると同時に別の国や会社や個人が衰退していく 。世界のしくみを変えようとすること 、需要と供給の法則を無視しようとすることはできるかもしれないが 、そんなものは絶対にうまくいかない 。創造的破壊を支配する法則を政治家が覆すことなど無理である 。社会の底辺部 2 0 %と上層部 2 0 %は 2 0年ごとに入れ替わる 、という研究結果も出ているのだ 。
5 0年後の世界を予測できる明確なビジョンのある人 ─ ─たとえば 、これから買い物はすべて繁華街から外れたショッピングセンタ ーで済ませることになる 、と見越せる人 ─ ─は相手にされない 。先見の明のある人間はいつでも馬鹿にされるのだ 。人間というのは必然を受け入れたがらないのである。
ジム・ロジャース
結局何を選ぶかなのです。無味乾燥な単色の世界に住みたいか?または多様性に富んだ多色の世界を受け入れたいか?偉大なる人類学者のマーガレット・ミードが亡くなる前に「最も恐れるのは私達が曖昧で個性のない世界観へと押し流され、人間の想像力の全域が狭くパターン化した思考に収縮されてしまうことだけでなく、ある日夢から覚め違った可能性があったことすらすっかり忘れていることだ」と言いました。
Wade Davis
ウェイド・デイヴィス‐絶滅の危機に瀕した文化
via TEDICT - Learn English with TED (http://itunes.apple.com/app/id537961396)
http://www.ted.com/talks/wade_davis_on_endangered_cultures?language=ja
投資家は言う。
経済的な観点から見ればそれは「創造的な破壊」で、基本的には人間というのは必然を受け入れたがらない。
人類学者は言う。
結局僕らは単色の統一された世界に住みたいのかどうかだ、と。
活版印刷なんかの技術が生まれたころはどうだったんだろうか。
やっぱり人々は「いやいやいや!手書きでうつさないなんて邪道にも程があるやろ!手書きで移すことに意味があるんやて!」と言っていたんではないだろうか。
いまは誰もコピーしたり印刷したりするのに意義なんて唱えない。
1000年も2000年も時間が流れて、物事の「当たり前」が必然的に変わっていくなかで
一体僕たちの「文化」というのはどこにあるんだろう。
そういう変化も含めての文化なんだろうか。
セルタの街に帰ってしんごがお土産を探すのを手伝う。あのイカしてるチベット帽をかぶるしんご。
お店の人達にきゃきゃきゃきゃ!と笑われました。
あとで考えるとかぶる方向が逆やったんやな( ゚д゚)
この夜は同じ宿に泊まってた日本人の旅人さんふたりもジョインして、主にトイレの話で大盛り上がりな夜でした。
みんな中国のニイハオトイレはすごいよ!ドアもなければしゃがんでも相手の頭が見えるくらいの高さの壁しかとなりの人との間にないからね!
さらに一部のおっちゃんは、、、おしり、、、拭いてないから。
(抜群にキレがいいとの噂。)
ラルンガルゴンパに来れて良かった。
まさかのドローンとの出会いにも考えさせられることが多かったな。
明日はマルカムへ。
東チベット編はもう少し続きます。