踊る髭の冒険

30歳を目前に仕事をやめて旅に出た髭の人が世界中放浪した果てに結局海外大学院留学せずに帰国→家族でベトナム ハノイ移住→その後ドイツで大学院卒業→現在はカンボジアでのらくら。

ナーランダ仏教大学遺跡。ヒンディーの永遠。

9月7日。

夜23:00の夜行列車でコルカタへ向かうので、それまで時間つぶしにナーランダーという仏教大学のあとを訪ねることにする。
トゥクトゥクをチャーター。ブッダガヤの町からは2時間くらいかかるので昼に出て帰って来たのは結局7時だった。

ラージキル、という町とナーランダと両方訪れたのだけど

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ナーランダーの仏教遺跡は、遺跡好きにはたまらん遺跡っぷりだと思う。

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なんでも5世紀に作られた世界最古の大学の一つなんだとか!


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インドの観光地にいくと思うんだけど、イギリスの影響なのか、庭園をつくるのがすごく上手い。
居心地のいい庭園と遺跡をうまく共存させるのは本当にすごい技術だなと感心する。



ドライバーのおっちゃんは英語を話せなかったんだけど、悪くない値段でまわってくれたし、途中お菓子を買ってくれたりした。ラージキルにきたらみんなこれを食べるって。

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名前忘れちゃったけど、あげたお菓子に蜂蜜かかってる。売り場にハエがたかりまくってて「これはついに下痢フラグか!」とビビりながら食べたけどいまんとこなんともない。
強くなったなあ、胃腸。
むしろインドに来てから体調がいいくらいだ。

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行きもかえりもおっちゃんは爆音でノリノリのインドミュージックをかける。
ちょwうるせw  くらいの爆音なんだけど笑顔でグッと親指立ててくるおっちゃんをみて
「うん、インド式のサービスなんだ。きっとそうだ。」と観念して、広がる田園風景に沈んでいく夕日を見ながら僕はインド音楽に身を任せた。

21時頃までゲストハウスにいさせてもらってガヤの駅へ。
まあ、案の定、列車は遅れた。この日は2時間半だったのでまだましか!

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インドの鉄道駅にはほとんどwaiting roomがあると思う。で、upper class とsecond classに部屋が分かれてるんだけど、upper classはほとんどいつも静かで居心地が良く、さらに客筋がいい。ほとんど変な人に声をかけられたりしない。
深夜に駅に着いた時などは、ホームでじっとせずこのupper class waiting roomを探すことをお勧めする!そこはまさに聖地。すごく安全。ちなみにチケット確認とかはされたことないから、大丈夫。

インド人は意外と席は守るので、みんなちゃんと自分の席のwaiting room にいっているのかもしれない。

唸るほど時間があるので、ヒンドゥー教の本をよむ。
ここにきて初めてヒンドゥーの本をちゃんと読んだけど思っていた以上に面白いものだった。


『ヒンドゥ ー教には 、まず第一に 、キリストやブッダやマホメットに相当する特定の開祖は存在しない 。それゆえ 、成立の年代もいつごろか漠として特定できない 。ヒンドゥ ー教は ─ ─インドのある高名な宗教学者の言葉をかりれば ─ ─ 「この宗教には初めも終わりもなく 、われわれの地球が存在する以前から 、未来永劫 、生滅をくりかえすどの世界をもつらぬいて存在する 」ものとして 、時間を超越し 、歴史を拒否するといった側面すら見られるのである 。つぎにヒンドゥ ー教には 、キリスト教の 『聖書 』 、イスラ ーム教の 『コ ーラン 』 、あるいはヒンドゥ ー教の改革宗教として北インドのパンジャ ーブ地方に一大勢力をもつシク教の 『グル ・グラント ・サ ーヒブ 』のような 、その宗教全体の核となる 『聖典 』がない 。したがって 、ヒンドゥ ー教全般に通用する明確な教義 ・教理も存在しない 。また 、ヒンドゥ ー教のばあい 、宗派と言っても 、それらはそれぞれに同一の神を信奉する独立した信者たちのグル ープ分けにすぎず 、キリスト教やわが国の仏教諸宗派に見られるような制度化された教団組織ではない 。それゆえ各寺院は 、同じ宗派に属するときでも 、互いに独立 ・併存の関係にあり 、いわゆる縦の上下関係も 、横の連係ももたない 』


衝撃的だったのは西洋からこの「歴史」の概念がはいってくるまでヒンドゥー文化のなかには「歴史」の概念がなかった(!)ということだった。
つまり僕がガンジスで感じた「変わらない」という感覚は言いえて妙だったのだ。

はじめも終わりもない、ただの真理を讃えている、それがヒンディー。
その教義の殆どを口伝で伝える彼らは、5000年前と変わらない内容の儀式をいまでも行っているのだとか。



コルカタまで7時間ほどの寝台列車

ついに最後の都市、コルカタへ。