踊る髭の冒険

30歳を目前に仕事をやめて旅に出た髭の人が世界中放浪した果てに結局海外大学院留学せずに帰国→家族でベトナム ハノイ移住→その後ドイツで大学院卒業→現在はカンボジアでのらくら。

踊る髭とオーガニックファーム。

4月23日

7:00


昨日のビールも残っておらず、嘘みたいに快便。治った(´Д` )剣道ってほんとすごいですね。あ、病院でもらった善玉菌が効いてるのかもしれないな。
ほんとね、もう写真とろうかってくらい感動した。(汚


朝ごはんを食べながらマレーシアの子たちと話していてクアラルンプールでまた会おうということになり連絡先を交換した。ローカルな人たちと繋がれるのは嬉しい。次のマレーシアも楽しみになる。


今日は数日前にcouchsurfinで見つけた同い年くらいの男の子のところに遊びに行くことになっていたので朝から支度して向かう。彼の家はバンコクの郊外にあって市内から電車で1時間半くらいかかる。

彼は郊外にファームを持っていて、そこにほぼ毎日カウチサーファーを受け入れているようだ。

僕は彼がどうして、ファームを持つことになったのか。今まさに経済が成長しているタイでなぜそういう生き方を選んだのか聞いてみたかった。


初めに僕の立場を明らかにしておくと僕は「食」には興味はあるが、オーガニックのようなものにそこまで深くは興味ないし(もちろん否定しているわけではない。知ろうという努力はむしろしている方で無農薬栽培の農場を見学に行ったこともある)、自分が農業をしたいとも思っていない。どちらかというと「ロハス」みたいな言葉とは縁遠い人間だし、「ゆっくりゆったり生きる」ことも死ぬまでできないだろう。ヒッピーみたく、都市の生活なんてしない!自然が1番!みたいな風には死んでもなれない。どちらかというとぼくは人々の生活がある都市を愛しているし、テクノロジーは人間と地球の両方にいい形で使われるべきだと思うし、むしろそれらを捨てて「自然」という不自然に帰りたいと思う願望はよくわからない。


よく一般的にバックパッカーはヒッピーと混同されるが、人の数だけ旅の仕方があるということを考える想像力くらい持ってもらいたいと思う。


まあでも美味いものを安全に食べたいって気持ちは凄くある。お腹壊してからまた色々考えるようになった。

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さてHualampong駅というのがバンコク市内からタイの国鉄に乗れる駅でなんとこの国鉄、タイ人は無料、外国人でもスーパー格安で乗れるのだ。

彼の家があるChachoengsao駅まで1時間半で30バーツ。120円しないくらい。
よく遅れたりするもののこの安さならどんとこいと思ってしまう。

(前政権?の国策か何かでこの八月くらいからはタイ人も無料ではなくなるらしい。)

国鉄の切符売り場でも外国人向けに案内をしてくれる人がいてわかりやすい。販売員の人たちも笑顔で対応してくれる。

年季の入った車両に乗り込んだ。列車は時間通り発車して東へ向かう。なんでもタイは100年くらい前にアジアで始めて鉄道ができた国でその頃の列車がまだ今だに走っているそうだ。

東へ向かう車両はそのままカンボジア国境まで、南へ向かうものはマレーシアへ向かう。次はマレーシアに向かおうと思っていたので、鉄道でクアラルンプールへ向かうのをどう思う?と昨日剣道仲間に聞いたら、一斉に「やめとけ!」と言われた。

南の方にはイスラム過激派のテロリストがいるらしく「マジ爆破されるからやめとけ」と。そんなこというけど毎日列車走ってるんじゃないのかなー(´Д` )とは思うもののエアアジアでも料金そんなかんんねーと言われるとそれもそうかと思ってしまう。でも鉄道の方がロマンだよな!

さておき、Chachoengsao駅には15分遅れくらいでついた。駅を降りると彼、Chittyが待っていてくれた。Ryanというニュージーランドの男の子と一緒だった。


Hey brother!
とヒップホップなノリでハグ。黒髪長髪、日焼けした肌、屈託のない笑顔で笑う男。

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今日は他にも何人も旅人が来るらしく、そのうちの何人かがもうすぐくるというので、僕らは昼ごはんを食べながら待つことにした。

近くのスーパーマーケットのフードコートへ移動。ファームがある場所なんてどんな田舎かと思っていたが、そこそこの都会だった。

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「え!泊まってかないの!いいけど今日10人くらい人くるから絶対楽しくなるよ!明日朝おくっていってやるから泊まってけよ!」

すげーなー、そんなにcouchsurferくるの?泊まれんの?
ということで今日はChittyのファームにお泊りすることになった。
明日はタイ人の友達と会う予定があったので昼までにはバンコクに帰りたいと伝えておいた。

それからルーマニア人のLindaと合流して車でChittyの家に出発。LindaはドイツでMusic designerをやっているらしい。


駅から車で30分。
ファームには立派な家と広い土地があった。

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僕たちは荷物をおいてファーム内を散策した。マンゴーがなっていたり、ココナッツの木が育ってきていたり、わくわくする場所だった。

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「ここは食堂みたいにして、そのうちレストランとかバーをやりたいと思ってるんだ!」いままさに建設中の小屋を指差してCittyは言った。

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自家製ジャムをつくるんだよ、と食べさせてくれたベリー。甘すぎず中々美味しい。

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夕方、ベネズエラとスペインからのカップルも合流して皆で外で音楽を聴いて日陰で涼んでいた。

色々話していて、みんなすごく「ヒッピーみたいなもの」への憧れがあるんんだな、と感じた。自然の中で旅をしながら暮らし、歌い、奏で、踊る。レインボーフェスティバルというヒッピーの祭典の話で皆盛り上がっていた。

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Inezというドイツ人の二十歳の女の子は旅を始めてもう2年目になるらしい。

「18で学校卒業してね、どうしても働くのが嫌でそのままワーホリビザでオーストラリアに行っちゃった!そのまま日本に行ったり、東南アジアに来たり。次はインドに行く予定なんだけどねー。ビザがなかなかおりなくて」
彼女はいつでもニコニコしている。

ドイツでは25歳まで、仕事を探す人のために政府からでる援助金みたいなものを貰えるそうでそのお金と旅先で稼いだお金で旅をしているそうだ。

「違法スレスレなんだけどね!」とInez。

働くって、そんなに嫌なことだろうか。
そりゃあまあ嫌になることだってあるし、吐きそうになるくらいのストレスを抱えることもあるけど それでも僕は仕事から学んだことは多いし、僕自身は働きたくないから旅をしているわけじゃない。
やりがいの問題だろうか。
人が本気で現代社会で「働いて」生きて行きたくないと思ったとき、ヒッピーみたいな生き方でずっと生きていけるものなのだろうか。

それにしても二十歳でこんなに長期で旅をするのはすごいなあ。


日が暮れるまでにみんなで植物に水やりをすることになった。
水やりを手伝いながら、僕はChittyに色々聞いた。

どうしてここを始めたのか。
どうしていきたいのか。
 

「2年間、俺はこの土地を祖母から貰ったんだ。ばあちゃんはタイに色々土地を持っててさ。それまでは学校の先生をやってたんだけど、機会があってそんな話がきて、土地を貰うことになって仕事は辞めた。こういう人生もいいかなってね。」

「それから農業を勉強するのに大学院の修士課程に入って一年間勉強した。で、去年、法的にじゃないんだけど一応結婚したよ。まだ籍はいれてないけど。式は友達のファームで挙げたんだ」

「まだまだ始まったばかりだけど、これから色んな植物を育てて、米もとれるようにして。山羊と鶏も飼いたいな。で、オーガニックレストランとか手作りジャムで収入を得れるようにしたい。でも大きくやりたいわけじゃないんだ、基本的には自分で食うものを自分で育てたい。」

僕は日本で食の安全に対する関心が高まってきていて、農業に携わり始める若者も多いと伝えた。

「タイじゃ俺みたいな奴はクレイジーだよ。まあ文明が発展するとどうしたってその中で生きて行くのが息苦しくなる奴がでてくる。で、だいたい裕福な家庭の人間の中からヒッピーが出てくるんだよ。そういう人たちはお金を出して買えるものは小さい頃から周りにあるからね。」

それは、Cittyの家も裕福だっていうこと?僕は聞いた。

「裕福ってほどでもないけどね」

と彼は言ったが、おばあちゃんが土地を沢山もっているあたりかなり裕福な方なんだろうと僕は思う。

 

これは僕自身にも言えること、というかずっと言われてきたことだ。
僕はヒッピーではないが。

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結構小さい頃、たぶん小学生くらいの頃から僕は「世界の貧しい人たち、困っている人達ににボランティアをしたい」とか、漠然とそういうことを考えていた気がする。格好良いなと憧れを抱いていた。まあそこに「海外」があったのは僕の目に入る「貧しさ」はテレビやメディアからの情報に限られていて、そこでは日本の貧困問題を当時そこまで取り上げていなかったからだろう。

少なくともぼくは高校生の頃にはそんな事を明確に口にしていた。もちろんその頃は「ボランティア」も「海外」も「貧しさ」も「旅」も何一つ実感として分かっていない。単なる「やってみたいな」というは漠然とした思いだったのだ。

そんなことを僕がいう度に大人達は僕にこういった。

「すごいね。でもそれは君が裕福な家に育ったから言えることだよ」

もうこれを聞く度に僕はなんて大人達は馬鹿なんだろう、この世界をこんな奴らに任せておいてなるものか!と憤慨していたのである。

まず第1に、それが客観的事実であることは認める。

何一つ不自由のない裕福な家庭にそだったから、他人の事を考える余裕があるんだよ、という理論は不変の事実ではないにしてもある程度正しい。

当時の僕がそれを聞いて動揺していたのは図星だったからだろう。それも間違いない。

しかしだ、青年にそんなことを言ってどうなるんだ。「君が裕福な家庭に育ったからだよ」の一言が、どれだけ彼を孤独にするかという想像力をなぜ大人は持ち合わせていないのだろう。

その言葉はどこかに、「あなたは私とは違うの」という意味を孕んでいる。社会がどんなに厳しいか裕福な家庭に育ったあなたは分かってないのよ、と。

それが確かな事実でも、思春期の青年にとって周りの大人達にそういう言葉をかけられることがどれだけ辛いことか想像できるだろうか。そんな環境を選んで生まれてきたのか?

富めるものも貧しいものも、誰1人生まれる場所を選べるわけじゃないのに。なぜそんなことを言われなくてはいけないのか。本当にそんなことを言えるほど、あなたは僕の人生を知っているのか。

今はもう、自分の出生を色んな意味で受け入れているし、それぞれ抱えてるものがあって、だからこそ自分のやれることを一生懸命やって生きようと思っているが。

少なくとも僕は言いたい。
夢見る青年が現実が見えていないような夢を口にしていても、大人は

「いいね。がんばれよ」

と言ってやればそれで十分なんだ。
生きる厳しさは、自分の道を歩んでいくなかで自然と学んでいくものなんだから。

 


話がそれた(^ω^)

 

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夜、イギリスからの3人を迎えて、10人程で宴会!!

ゲームしたりギターやバイオリンを弾いたり、ワイワイガヤガヤ楽しい夜!!

歌の選曲から、Cittyのメンタリティはジョン・レノンボブ・マーリーからかなり影響を受けていると思った。

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それにしても彼はすごい!ギター、バイオリン、リコーダー、ウクレレと、どこからともなく楽器を取り出しては演奏を始め、他の誰かの演奏にジャムしていくのだ!

イマジンや、No woman no cryを皆で熱唱!


そのうち眠くなって僕は寝てしまった。
Cittyは二階の部屋を僕にあてがってくれて僕は前日の剣道から来る筋肉痛を感じながら気を失うように眠った。