踊る髭の冒険

30歳を目前に仕事をやめて旅に出た髭の人が世界中放浪した果てに結局海外大学院留学せずに帰国→家族でベトナム ハノイ移住→その後ドイツで大学院卒業→現在はカンボジアでのらくら。

踊る髭とSomphong.

ルアンプラバンの最初の宿はHostel worldで高評価だったわりにオーナーがあんまり良くなくてがっかりだった。

Hostel worldという検索エンジンは世界中のいいホステルを載せているとはいうものの、設備の面で各国の基準を法的に満たしている宿しか登録できない。
思うに、日本やヨーロッパではこの仕組みは上手く働くかもしれないがアジア諸国では微妙だ。ラオスのような国ではホステルワールドの基準を満たすホステルなんて限られているので自然と値段は高めのところになるし、バックパッカーが求めるものとは遠いところに自然といってしまう気がする。

台湾でも感じたけれどHostel worldで検索される宿はもはやバックパッカー向けの宿を超えており、そこには家族連れや、団体客もかなりいる。
それがまた多様性を生み出しているともいえるし、「旅の宿」という空気を失ってしまう原因にもなっていると思う。
まあでもみんな綺麗でリーズナブルで快適なとこに泊まりたいよね!わかります。それだけ旅行の選択肢が増えてるってことだよね。

f:id:nacarthur:20180104185309j:plain


話変わって、ルアンプラバンの最初の宿のあと本当にRattana guest houseを見つけることができて良かったと思う。

すっごく皆優しいし、家族経営なんだけど、ゲストにも家族みたいに接してくれる。ミニバンも持っていてトゥクトゥクと変わらない値段で色々いってくれる。

なによりスタッフのSomphongの笑顔にいつでも癒されていた。

最後の夜に感謝の思いを込めて、僕のたくさんもって来すぎた服を彼にあげた。いつだって丁寧に接してくれる人が異国の地でいることがどれだけ心救われることか。

Somphongは22才で大学で金融?financialの勉強をしている。
彼は16くらいの時に地方からルアンプラバンにでて来て僧侶になった。
四年間僧侶をして、その間に勉強をし、大学に入学した。英語も子供たちに教えながら覚えた。お金はゲストハウスで働きながらなんとか自分で工面しているらしい。

「学費は1年で200ドル程、これはラオ人にしたら大変な額なんだ。月収が100ドルあればいいほうだからね。大学を卒業したらルアンプラバンで働きたいと思ってるよ」

君はいつも笑ってるね、すごくそれはお客さんにとっていい事だと思う。本当にに心が安らぐ。
僕はムアンゴイでであったShaiもそうだったことを思い出し、僧侶の修行が関係あるのかな?と聞いた。

「どうだろう。僧侶の修行は毎朝、毎晩祈って、あとは仏教のことや色々のことを勉強することだよ。この仕事をはじめてからかもしれない、宿はサービス業だよね。誰に教わったことではないけど自然とそうなった」

話し方もすごく優しいよね。

「言葉は、コミュニケーションだからね。ゆっくり話してお互いに通じ合えないと意味がないと思う。」

まさにそうだ。
例えばカウチサーフィンが面白いのは、会う時から向こうがこちらと話す気でいてくれることだ。ここが宿と違う。
人がこちらを向いてくれれば拙い英語同士でもなんとかなる。コミュニケーションをとる気がないと会話なんて当然どうにもならないのだ。

僧侶になるというのがどういうことなのか僕には実感がないけれど、仏教国であるラオスでは僧侶は特別な存在だ。あれだけクレイジーな水かけ祭りでも僧侶に対しては絶対に水をかけたりはしない。
僧侶の生活をもう少し聞いてみたかったたが体調が優れず僕は眠った。
少なくとも僕が出会ったラオ人の僧侶経験者は他の人々と一線を画す趣きをもっていた。優しく、澄んだ目をしていた。
ラオスが経済的に豊かな国ではないにしても、人々が優しく、ほとんどぼったくられたりせず、清潔にされていて、安全に旅行できる国であるのは、仏教のモラルがかなり大きく関係しているのではないかと僕は思う。
カンボジアポル・ポト時代に殆どの僧侶、知識人が殺害された。ラオスカンボジアでは明らかに人のモラルの度合いが違うように僕は感じる。もしカンボジアがそういった歴史を辿っていなければ、現状は全く異なったのだろう。
ベトナム戦争の頃のカンボジアの歴史についてはこちらがわかりやすい。
不思議館~大飢饉と大殺戮の恐怖~ ポルポトの大虐殺

知識やモラル、文化を継いでいくのもやはり人なのだ。
ラオスで今日も「日々」を紡いでいる人々が大好きだ。
いつかまた彼らを訪れたいなと思う。