踊る髭の冒険

30歳を目前に仕事をやめて旅に出た髭の人が世界中放浪した果てに結局海外大学院留学せずに帰国→家族でベトナム ハノイ移住→その後ドイツで大学院卒業→現在はカンボジアでのらくら。

ブエノスアイレス⑦路上の風景

1月10日

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アルゼンチン最終日なのに暇だいひまだーい!といっていたらミホコさんとユウちゃんが遊んでくれた。ありがたいっす。アイス食べたりしてからビールを買って、ブエノスアイレスのセントロにあるオベリスク前で路上飲み会。

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これから向かうボリビアやペルーの話を聞かせてもらったりしたんだけど、この2人と話してると本当自分なんてただの「ツーリスト」だなあ、と思う。

旅をしながら、アクセサリーを作ったり、マッサージの技術を身に付けたりして、旅先で働いてお金を稼いで旅を続ける。路上で物を売ったり一芸で稼いだり。逞しい2人をみてると「トラベラー」魂を感じる。

旅のスタイルはそれぞれだしもちろん優劣の付けれるものではないのだけど、単純に「すごいなあ」と思った。そういう旅をする、ということに一歩踏み出せない自分もいる。

結局僕は期間を決めて「旅行」をしているのであって。

メキシコで出会ったサミュエルみたいな「旅こそ人生」という人間ではないのかもしれない。

新しい場所にいって、新しい誰かに出会い、見たことのないものを見たい。そんな欲求はあっても。

日常と旅の狭間に揺れながらも僕は「日常」と呼ばれるものを愛してるんだな。




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広場で飲んでたらインディヘナのおっちゃんがやって来て「浄化してやる。」といって何かを身体の周りで火で焚いてくれた。最近ツイてなかったのが見えたのか(°_°)何かが…祓われたのかもしれない。

おっちゃんはペルーから来たインディヘナの絵描きさんらしく、すぐそこの路上で絵を売っていた。

「路上で物を売ると、たくさんのものが見えてくるよ。そうやって中に入っていかないとなかなか地元の人達の事も見えてこないしね。」

ユウちゃんがそういっていたけど、こうやって路上で飲んでいるだけで色々な人の人生に触れるもんだな、と思う。

飲んでいるすぐそばで物盗りがあって、警察の捕り物劇があった。犯人はすぐ捕まっていたけど、どんな思いでこんな人通りの多いところでそういうことをするにいたったんだろう。
よっぽど追い詰められていたのか。
いつもならうまくいっていたのか。


アルゼンチンは物価が高いくせに給料が少なく、貧富の差がものすごく激しい。

日本だってもう、全然他の国の事をいえないくらい貧困にあえぐ人々や子どもたちがいるのだけど、こっちでは路上の至る所でゴミ箱をあさる人達や、路上で眠る人達を見る。

旅の中で僕はだんだんとそういった人達に近寄らないでおこう、と思うようになってしまっていた。
これは当然、安全の為なのだが、それが習慣化されると恐ろしいことに、彼らの「いのち」や「生活」に想像力を向ける余地がだんだんとなくなっていくのだ。


ユウちゃんは路上飲みにパン屋さんからもらって来た売れ残りのパンを貰って持って来てくれていた。

「パン屋さんも、野菜屋さんも夜行ったら売れ残ったりしたのんくれるときあるねん。嫌な顔されるときもあるけど、それで生きてるもんね。それで生きてる人がいるから。」

パンは美味かった。




僕は追い詰められたこともない、本当に甘い環境で生きてきた人間だと、この時痛感した。

いいね、すごくいいね。
なんて言いながら、パンを貰いにいこうとする自分を思い描けなかった。


世界は深い。


同じ立場で、なんてできることは何もないのかもしれない。




ワインとビールを空けて、また日本でと僕らは別れた。

アルゼンチン、パラグアイでもたくさんのいい出会いに恵まれたと思う。


9ヶ月旅をして、価値観が変わったり、崩壊したり。自分でも気づかないうちに大きく変容していて、最近は自分の考えていることが方向性もなく、何が何だかわからない。

こういう捉えれない「感情」とか「思い」こそが、本当のところなのかもしれないけれど、臆病な僕はまだまだそれを言葉で表現したがるみたいだ。




旅は、ボリビアへ続きます。