踊る髭の冒険

30歳を目前に仕事をやめて旅に出た髭の人が世界中放浪した果てに結局海外大学院留学せずに帰国→家族でベトナム ハノイ移住→その後ドイツで大学院卒業→現在はカンボジアでのらくら。

メキシコシティ〜人類学博物館 人間の誇りと文化とお土産ものと〜

12月17日

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宿で引っ掛けたオペラ歌手のイケメンのローネンと一緒に人類学博物館に行くことになった。
というか、一緒にいく?ともなんとも言ってないんだけど今日は人類学博物館行くんだよね、って言ってたらなんかもう勝手に一緒に行くことになってて「で、何時にいく?」ってな感じだった。強引を通り越してマイ・ワールドすぎる(´Д` )

ただ、このメキシコシティの人類学博物館はメキシコ中の遺跡からいいの集めてきてて遺跡萌えな自分としてはもう何時間でもおったんねん!くらいの意気込みだったので、どっちかってと1人で行かせて欲しかったのだ。
「めっちゃ時間かけてみるけどほんまにええか?」と聞いたのだけどローネンは、任せとけ!みたいな感じで笑ってる。

旅人2人、人類学博物館まで小一時間歩く。
途中色々話を聞いてるとオペラ歌手になろうと思ったのは4年前でそれまでは全く違う仕事をしてたらしい。
「チャリティーの組織でオーガナイザーをしてたんだ。うまく行ってて成功していたんだが、疲れてしまって。インドに行っていろんな仕事をしてみて「変えられないな」と思ってしまって」

これは全く僕も最近同じことを考えていたので驚いた。
「変えられない」

実際に現地にいって医療行為をしてみて、おそらくローネンは違う方法で世界の「現状」を変えようとアプローチしてみて、思うこと。
「変えられない」
僕らには大きな変化を起こすことができない、だろう、という思いに至る。
自分の人生向こう何十年程度かけるだけでは、きっと貧困や差別や様々な社会問題の中で喘いでいる人達の状況を変えられない。もっともっと時間も労力もかかるんだろう、ということ。

もちろんこれは、まだ何もやっていない、実際には何十年もかけて何もやっていない人間の、戯言だと思う。間違いなく、人間は長い時間をかけて、世界を、社会を変えてきた。

でもきっと僕は、ローネンは、「この人生の中でやりきれない。達成感を得られないかもしれない」ことが自分の進む道としては受け入れられない、簡単にいうならエゴイストなんだろう。

ローネンは話し続けた。
「24歳の時に仕事を辞めた。で、べつに歌が得意とかでもなんでもなかったんだけど、歌をやりたいと思ったんだ。なんか俺にはそうほうが『リアル』だと思えてね。もちろん家族や友人には馬鹿だと言われたけど」

「それから4年間、今まで、毎日練習した。ただただ毎日練習した。1年目、まったく上手く歌えなかった。2年目も、上手く歌えなっかった。3年目、少しはマシになってきて、歌わせてもらえるようになった。なんと今はな、舞台にも立てて、アメリカで有名なアーティストと一緒にレコーディングできるようになったんだ。才能があったんだな、俺は。」

すげー自信家だなー、と思ったけれどただただ努力を重ねる姿勢は賞賛に値すると思った。

彼のいう『リアル』の意味は何となくわかる気がする。
世界なんてでかすぎるものを大きな組織の中で変えようともがくものの結局人間が動くかどうかの問題になり、直接的にやりがいを感じられなくなったのではあるまいか。

ローネンはものすごいエネルギッシュな男で、僕にとってはimpressiveな存在だったのだけど、こういう性格なのか話し続けないといけない空気を自分で作ってしまう人だった。


結局人類学博物館には一緒に行ったけれどテンション上がってじっくりみてる僕とちがってローネンはサクサク進むので、あとで宿で合流しようということになって彼とはここで別れた。

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人類学博物館は建物自体もいい感じ。
メキシコ全体の遺跡と古代文明についてざっくり学べる。

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実物はやっぱ感動したなー。暦な。

いや、ほんま三時間くらいかけて見てたので是非自分でいってみて。
テオティワカンケツアルコアトルの神殿とか復元しててなかなか見ごたえあるから。
遺跡好きはきっと満足するから。ロマンでお腹一杯だから。

あとおもろかった遺物たち…

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藤子先生の漫画のキャラみたい。


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はんぎょ。

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コーン食べー!コーン!

いやー、ほんと古代文明とか遺跡とかってたまらないよね!



博物館からでたところで全身民族衣装に身を包んだ原住民風のお兄さんがいて(実際にそういう血の人かはわからないけど)写真一緒にとったら10ペソ、みたいなことをやってた。

これを見たときほんと悲しい気分になったんだよなあ。

クリールでみたタラウマラ族の人達の「影」とか
サカテカスの銀鉱山で感じたこととか
そんでこのお兄さん、な。

どうして原住民の彼らはこんな事をして彼らの文化をツーリズムに切り売りしないと生きていけなくなってしまったんだろう。(純粋なindegenousなんて存在しないかもしれないけど)

まあ、いち旅行者のただの感傷として聞いてもらえればいいんだけど。
彼らの「誇り」はどこにあるんだ?
なんで惨めな表情で作りたくないけど現金収入のために観客向けに作ったようなお土産ものを売ってるんだ?

チェ・ゲバラが南米でのバイクの旅で見た人々の惨状はもっともっとすごかったんだろう。
彼が取り戻したかったラテンアメリカ世界の誇りって、そういうものなのかもしれないな。


色々な背景の中で「貧しさ」や「差別」を自覚してしまった(させられてしまった)人間の放つ「惨めさ」みたいなものこそ、尊厳のある人間の生き方の対局にあるものとして、人間たちが戦ってきたものなのかもしれない。
マザーテレサは「この世で一番不幸な事は「自分は愛されていない」と感じることです」みたいに言っていたっけ。

昼から歩き方に乗ってた有名な市場にいったけど、いかにも「お土産物」ってクオリティのものしか置いてなくて正直残念だった。民芸品って、すっごいマスターピース作ってる人は確実にいるのに、なんで大量生産的なクオリティのものを沢山つくってそれを売ろうとしちゃうんだろう。

それって結局売れないと思うんだよなあ。
最近の旅行者や旅人は簡単に他の国に行けるようになって目が肥えてるから、「お土産もの用に作りました」みたいなもの買わないと思うんだよね。

民芸品には「誇り」がのるとおもうんだよね。
だから心込めて作ったものが適正な価格で買われるようになってほしい。
結局それが「文化が引き継がれること」に一役買うと思うんだよね。

そういうのフェアトレードっていうのかわからないけど、なんつーかそんなことを思ったよ。




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そしてメキシコシティでも中華を見つけて食べるという。
だって野菜が一杯とれるから!ビュッフェだったから( ;´Д`)!

さー、あしたは遺跡だ!テオティワカン!!