踊る髭の冒険

30歳を目前に仕事をやめて旅に出たナッカーサーが世界中放浪した果てにイギリスの大学院に留学するのかどうか、という毎日を綴るブログ。可能性迷子の毎日をお届けします。

ストックホルム④ 生きて生きて生きて、死ぬこと。

11月17日晴れ。

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朝、あまり人がいない時間を狙って、世界遺産の『森の墓地』へ向かった。場所はストックホルムの少し郊外。

そこは名前の通り墓地なのだけど、モダンと自然の融合が美しすぎるってことで世界遺産になっているらしい。

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「人は死ぬと森に還る」というスウェーデンの死生観をあらわしているらしいこの墓地。もうなんかハイキングできるくらい気持ちのいい場所。

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大きな十字架が掲げてあるのでキリスト教のお墓なのかと思いきや宗教は問わず葬儀は行えるらしい。それにしてもすごい。お墓の概念を覆す美しさ。

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森の中。お墓が並んでいる。
墓って日本ではなんだか暗くて、おどろおどろしいイメージがあるけど、ここはすごく神々しい。あと、墓のアップ写真をupするのは憚られるのであげないけど、一つひとつのお墓にそえられているお花が、北欧ぽくてすごく可愛い。(死者を弔う場所の写真をネットにアップするのはなんか違う、と思う自分の感覚はどこから来てるんだろう、と思ったりしてみる。)

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歩き回っていると「死」は自然のサイクルの1部なんだな、と自然に思えた。でもそれを恐れて苦しんだりするんだ人間だもの。生老病死。でも最近はそれでいいとも思うな。そういうものの中にドラマがあったりするんだし。


その後、シェップスホルメン島へ。
島っていってもストックホルムは小さい島が橋で繋がってるので歩いていける。

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どこからどうみてもModern Art museum。それ以外の何ものでもない雰囲気。


正直Modern Artってよくわからないけど今回の展示では「感覚を遊ぶ」ものなのかな、って思った。日常では味合えない感覚を楽しむ、みたいな。

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色の重なり。

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扇風機をね、こう、ぶーんってね。吊るしてね。ぶーん。

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ギラギラッ。

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霧の中にスポットライト。さらさら。

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グルグル。

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ピカピカ!

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砂の中をエアーを噴射するホースが跳ね回る。乾いた、ザラっとした感覚。

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そして、便器。

あ、便器はあのマルセル・デュシャンの「泉」。本物があって感動。紛れもなく便器。
「サインして、美術館に飾ればなんだってアートになっちゃうんじゃね?」っていうあれですね。尖ってて大好きです。
知らない人はググってみよう。


ふらふらと美術館内を歩き回っていてストックホルムの美術館の入場料の高さをそこはかとなく恨んでいると(下手すると2000円近くする。)、現代の風景みたいな企画展示をしてる部屋にたどり着くいた。

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絵本が置いてあったので何気無く手にとって読んでみた。Felicia、というタイトルのその本は簡単な英語で、ストックホルムの街中でよく見かける花柄の頭巾を被った路上生活者の半生を綴っていた。

ストックホルムを歩いていると花柄の頭巾を被ったおばちゃんたちがメトロや建物の入り口で物乞いをしてるのを必ず目にするとおもう。

Feliciaもまたその1人。ルーマニアの地方都市で生まれた彼女は裕福な家庭で育つものの父親が急死。その後新しい環境と仕事を求めて海を渡ってスウェーデンへやってくるが、仕事はみつからない。
彼女の今の仕事は道に座って、寒さに凍えること。
「運が悪かったのね」と本の中には書かれていた。

誰も悪くなくても、起こる悲しい出来事もある。何も悪くなくても、彼女の姿は道を行くの殆どの人に無視される。

僕もその1人だ。目を合わせないようにする。少しのお金を彼女らの持つコップの中にいれることを躊躇う。

なんでなんだろう。それでは何も変わらないから?本当になにも変わらないんだろうか。

ふと僕はポケットにある5クローネコインを思い出した。


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実は美術館のロッカーが5クローネコインがないと施錠できない仕組みになっていて、来たときに僕があたふたしていると老夫婦が僕にコインをくれたのだ。

「実は私たちが来たときも、たまたまロッカーに既にコインが入っていてね。だから私たちのお金じゃない。わたしらも君もついてるね」

これが本当だったのか、僕を助ける為におじいさんがついた方便だったのかはわからない。

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ぼくはこの「ラッキーコイン」を美術館の外に座っていた「Felicia」に渡すことにした。

これは、ラッキーコインだよ。といって僕は彼女のもつコップにそれを入れた。乾いた音でコップは鳴って、彼女は僕のわからない言葉で何かお礼を言った。

所在をなくしたお金に向けられたお礼は、誰への感謝になるのだろう。

僕はこういう時、自分達のコントロールできない何かを感じずにはいられない。


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夕焼けに沈むストックホルム
ぼくは友達との待ち合わせ場所へ向かった。