東チベット〜中路(チョンルー)〜
9月15日
朝5時のアラームで目がさめると杉田くんがムクッと起き上がってボソボソとこう言った。
「すまん、予定変更!頭超痛え!」
。・゜・(ノД`)・゜・。
どうやら早くも杉田は高山病にやられた模様!はやっ!
取りあえず高度を少し下げて様子を見るため、目的地のリタンを変更して、少し高度の低い高度1800mくらいの「丹吧」(ダンパ)という町へ行くことに。
朝一番のバスターミナルで聞くと、どうやらバスのチケットは払い戻しがきくらしく、ダンパまでの差額分は返金してもらえた。
7時半のバスでダンパへ向かう、途中の道はそこまで悪路でもなく(揺れたけどね。寝れるくらいではあった)3時間くらいで思ったより早くついた。
着いたときのダンパの町の印象は、ちょっとゴミゴミしてて客引きも多くて、あまりいいものではなかったのだけど、最終的にこの地域で2泊して、結果的に大好きな場所になった。
ダンパについてすぐ食べたご飯。麺。杉田が食べていたミルクっぽい麺が美味しかった!嫉妬!
食べながら今日どうするか作戦会議をする。
この近くに「中路」(チョンルー)というギャロンチベット族の小さな村があってそこが観光客もすごく少なくていい所だ、との情報を事前にネット上で得ていたので、ぼくらはそこに行くことに決めた。このときはダンパの町に二人ともそんなに魅力を感じていなかったのだ。
バスターミナルのあたりを歩いていると、客引きが沢山いて「チョンルーに行きたい」というとすぐ連れていってくれた。(ふたりで100元だったけど、もう少し値切れると思う。)
中路の村は、期待以上に、美しい村だった。
まず宿がここ!チベット式の建築がほんとにカッコイイ!多分中路にくると、大抵の旅行者はここに泊まることになると思う。この宿だけでもここに行く価値があるくらい素敵。
(朝晩二食付きでひとり80元。ちょっと高いけど快適な宿だと思う。)
村を歩くと、トウモロコシの畑が広がっていて、その上に青空が広がり、チベット風の家々が並んでいる。全部がうまく調和していて、「タシデレ」(チベット語のこんにちは)と挨拶するとにこやかに「タシデレ!」と返してくれる村の人々が穏やかですごく和む。
持ち前の方向音痴っぷりを発揮して行きたい方向と反対方向へいったりしたものの、なんとか村一帯をぐるっと歩いた。
小さな寺院が一つだけあるのだけど、中庭に花が咲いていて、見とれてしまうくらい綺麗なお寺だった。
髭と杉田がしばらく見とれていると、寺の中からひとり僧侶がでてきた。
僧侶は手招きしてこっちへ来いと僕らを呼んだ。誘われるがままお堂に入るとそこには仏像と、ダライ・ラマではない僧侶の写真が飾られていた。
杉田は中国語ができるのだけどこの僧侶が言うことはほとんどわからないらしかった。かなり、もしかしたら全部チベット語だったんだろう。
「何言ってるかわかんないなー」
といいながら促されるままお堂を時計回りに三周するぼくたち。
そのあいだ、僧侶はずっとお経みたいなのを唱えてくれていた。
まわり終えると、「さ、これで良いことがありますぞー!ほれっ」ってな感じでお布施箱を指差され、ぼくらは「まあ貴重な経験させてもらったしなー」と少額のお布施をした。
オォー、タシデレタシデレ!!
僧侶は何度もそう言って、お寺の周りも、マニ車回しながらまわってけ(^ω^)と僕らを促した。
おおおぉーータシデレタシデレ。
一度すれ違った女の人に「べー!」と舌を出されたのだけど、チベット民族のなかではこれは歓迎の意味を示していたような気がする。(実際は確認したところ反対の意味ですた。)セブンイヤーズ・イン・チベットでこんなシーンあったような。
夕食。
宿のお姉さんがやたら元気よく走り回って部屋のドアをノックし「晩餐ー!」と叫んで呼んでくれた。
元気よすぎやろ、と大阪人2人はツッコミをいれて食堂へむかう。
夕食はイスラエル人カップルと同じテーブルになった。
お互いの国のことや、旅の話、沢山話せて楽しい時間だった。
イスラエルは男性の兵役が2年、女性も1年半あって、高校を卒業すると同時に全員兵役につくらしい。それが終わってから大学へすすむ。
イドとゴーミという仲のいいこのカップルは法学部の学生で弁護士を目指しているそうだった。
「日本人がゲイシャ文化、キャバクラ文化にどうしてお金を払うの?性行為のない、ほとんどが会話だけのものなのに。」
という質問には( ^ω^ )うーん と答えあぐねたけれど、海外からの視点をしることは興味深いことだった。
この日近くに座っていた男性がチベットのラサ出身のひとで
といっていたのを凄く覚えている。
自分の生まれ故郷が、自分の生きている間に「なくなってしまう」というのはどういう気持ちだろうか。
疲れていたのか、イドとゴーミと一緒にビールを5本空けて
僕らは特に明日の予定も決めず、寝床についた。
この先はもっと、チベット文化色の強い地方へ移動していく。