踊る髭の冒険

30歳を目前に仕事をやめて旅に出た髭の人が世界中放浪した果てに結局海外大学院留学せずに帰国→家族でベトナム ハノイ移住→その後ドイツで大学院卒業→現在はカンボジアでのらくら。

破壊の神と、マザーテレサの愛と。②

(現在中国でブログ更新中。ネット事情により、写真は後日。)

9月9日
昼間。炎天下のコルカタを、あえていろいろ歩いて見た。

「コンニチハ」
「スミマセン、オニイサンドコイクノ」
「ハッパ?ハッパ?」

という声を無視しながら歩く。
コルカタはいろいろ歩いてみると、意外と可愛い建物が路地裏に建っていたりする。
リキシャやオートリキシャ、自動車、全ての乗り物が一斉にクラクションを鳴らしたり、怒号をあげたりするので、BGMよろしく、騒音は鳴り止むことがない。

街中には所々に小さな祠がある。


マザーハウスにむかうのに初めて「人が引っ張るだけの」リキシャにのった。
やっぱりこの乗り物はあんまりいい気分がしない。
50ルピーと言われたのにおりると100ルピーだといわれる。本当毎回のようにこういうことが起こるんだけど、50っていったやん、とお金を渡す。
ボロボロの服着たおっちゃんに100円(50ルピー)安くいってもらったところでどうやねん、自分。とも思うんだけど、後から高い値段言われていい気はしないもんで、色々と葛藤。

かのマザーテレサが拠点にしたっていう施設で、マザーのお墓がある。外国人にも開放されていて見学できる。

資料館を見ていた。隣の部屋ではシスターやクリスチャンの人達がマザーの墓の周りで祈りの歌を捧げている。

マザーテレサは世界中の貧しい人たちの為に生涯を捧げて、このインドのコルカタを中心に活動していた。僕は日本で彼女の本を何冊か読んでいたし、その言葉に勇気付けられたことも多かったのだけど、実際にインド、コルカタに来てみて、「何が彼女をそこまで動かしたんだろう」という大きな疑問を持った。

人を信じるのがこんなに難しいこの国で、ぼくは出会う人全員を疑ってしまって、優しい顔なんてまったく向けられないようになっていた。外国人と目があうと「お金」と寄ってくる子供達に目を合わせないようにするようになっていた。
正直なところ、そういった彼らを煩わしいと思ってしまっていて、ぼくにはどうしたって「この人たちの為に働こう」とは思えないのだ。彼らがなぜそう生きているのか、と想像できる頭をもっていても、頭では理解しているつもりでも、感情はうまくアダプトできない。

そこが自分の生まれた土地であったなら、「動く」理由にはなり得ると思う。
でもマザーテレサは東欧のマケドニアの生まれで、比較的裕福な家庭の生まれにうまれて、まったくインドとは繋がりのない生活を送っていたのだ。


僕はマザーの墓の隣のベンチに腰掛けて、信者の方々が祈るのを見ていた。
順々にマザーの墓に人々は祈りを捧げている。

マザーテレサの施設には、寄付をねだる人もいなければ、ドネーションボックスもない。
そして、なぜなんだろうか、彼女の施設の周りにはそういったことをしようとする人も歩いていない。
それでも彼女の周りにはいつも協力する人が絶えない。彼女がいま、ここにいなくても。

『人間にとってもっとも悲しむべきことは 、病気でも貧乏でもなく 、自分はこの世で役に立たない不要な人間だと思いこむことだ。そして 、この世の最大の悪は 、そういう孤独な人に対する愛が足りないことなのだ。』

マザーはそんなことを言っている。実際彼女が行ったのは貧しい人たちに「お金を与える」ことではなくて、その最後を看取ってあげたり、一緒に側にいてあげたりという、「あたたかさ」を与えることだった。


僕がマザーハウスを去ろうとした時、1人のシスターが出口にたっていた。
僕は笑顔で会釈をした。その人は笑顔で応えてくれた。

マザーハウスのシスターはみんな、本当に、形容できないほど優しい顔をしている。
みんなが生きることに必死で、優しい顔を見つけるのも難しいこの街で(僕がそういうところに顔を向けれる余裕がなかったのかもしれない。)彼女たちの顔をみるだけで、心が救われる気がした。

どこからきたの?と彼女。
「ここで12年働いている日本人のシスターがいるわよ。夕方6時頃にきたら紹介してあげる。」

僕は18時に空港へ向かわないといけなかったため、その日本人のシスターには会えなかった。

「…あの、ぼくはクリスチャンじゃないんですけど、マザーテレサの生涯には本当に勇気付けられていました。」と僕がいうと、シスターはこれをもっていきなさい、マザーが守ってくれますよと、小さなチャームとマザーの顔の入ったカードをくれた。

このとき何故か、僕は鳥肌がたった。シスターたちと話す時間がなかったのは今回残念だけれど、ぼくはもっとマザーテレサの事を知りたいと思った。


宿に帰ってすぐに本をダウンロードして一気に読んだ。

マザーの行動を支えたのは僕には想像もつかない「神への信仰心」であったこと。マザーもまた自分の行動が正しいのかどうか思い悩む1人の弱い女性であったこと。人間にとってもっとも悲しむべきことは 、病気でも貧乏でもなく 、自分はこの世で役に立たない不要な人間で誰からも愛されていないと感じることだということ。いろいろなことを知ったり気づかされたりしたのだけど、その中でも心を打たれたのは次の一文だった。

「平和はほほえみから始まります 。笑顔なんかとても向けられないと思う人に 、一日五回はほほえみなさい 。平和のためにそうするのです 。神の平和を輝かせ 、神の光をともして 、世界中のすべての人々から 、あらゆる苦しみや憎しみや 、権力への執着を消し去りましょう」

これは荒んでいた僕の心を照らす一言だった。

僕は本当に人に恵まれて生きてきた。周りにはいつも心から信頼できる友人が必ずいた。
インドを旅して初めて「誰も信じられない」ことの惨めさを知った。そしてそういった環境で愛情を人に向けることがどれだけ難しいか。

自分を騙そうとする人たちにも笑顔を向けられるだろうか。
笑顔なんかとても向けられない、と思う人に笑顔を。

僕はこれから先のこの旅を、なんとかそういう風にしていきたいなと思った。
そしてこれはきっと生涯を通しての僕の課題になる。


僕は夜のコルカタの街をタクシーで空港に向かった。
コルカタの空港は思っていたよりもすごくモダンな空港だった。
最後のルピーでビールを飲んだ。唸るくらい美味かった。
3週間のインドの、色々なことを思い返していた。

また来たいな、と思う。
まだまだインドには行きたいところがたくさんある。カシミールパンジャブ地方、エローラの石窟。

鬱陶しいことばっかだけど、凄いもんはほんまにすごいんやよなあ、インド。



とっても有名なマザーの言葉でインド最後の日の日記をしめくくろうと思う。



人は不合理 、非論理 、利己的です
気にすることなく 、人を愛しなさい
あなたが善を行うと 、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく 、善を行いなさい
目的を達しようとするとき 、邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく 、やり遂げなさい
善い行いをしても 、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく 、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが 、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で 、誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが 、壊されるでしょう
気にすることなく 、作り続けなさい
助けた相手から 、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく 、助け続けなさい
あなたの中の最良のものを 、世に与えなさい
けり返されるかもしれませんでも気にすることなく 、最良のものを与え続けなさい



間違いなく多くのことをインドで学んだ。ありがとう、インクレディブル・インディア。

明日からは中国。
成都から東チベットへ!