踊る髭の冒険

30歳を目前に仕事をやめて旅に出た髭の人が世界中放浪した果てに結局海外大学院留学せずに帰国→家族でベトナム ハノイ移住→その後ドイツで大学院卒業→現在はカンボジアでのらくら。

チベット伝統医療。Marieとの別れ。

8月24日

朝4:30にゲストハウスを出発。

助手席に座ったのでMarryのアグレッシブなドラテクをダイレクトに体験できた(°_°) 途中ケニア人のZharaが車酔いしてしまいもどしてしまったが、Zharaだけでなく、疲れていたのか全員この日はかなり山道にやられていた。

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それでももうそんなこと丸め込むくらいヒマラヤの山々の雄大さがやばい。

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来た時よりも雪が積もっていてそれもまた美しい。

4時間半のドライブのあと、なんとかレーの町に生還した僕らは少し休んで機材を病院に片付けた。


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ホームの病院はRamdonという小学校の中にあり、機材はかなり充実している。
いままで経験したどのボランティア団体よりも恵まれた設備だと思う。


片付けを終えて、僕は以前Marryに聞いて気になっていたチベットの伝統医がいるという病院を訪ねてみることにした。
Ampchiと呼ばれる伝統医はなんでも脈診で身体の状態をみて、薬草を調合した薬をくれるのだそうだ。

午後からはフリーだったので別行動で、AmeliaとJackは街へ。Zharaは1日休んでいた。

僕はこの遠征中に車を2度ぶつけたMarryが修理にいくのに便乗して、伝統医のいる病院に向かった。

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家からそんなに遠くなく、15分程で病院についた。

「帰りはヒッチハイクかタクシーで帰っておいで!」とMarry。Marryのイメージはもうまるっと肝っ玉母さんです。


病院は思っていたより立派で、中に入って伝統医療に興味があるから見学したいと伝えるととりあえず患者の列に座って待っててと言われた。

英語が通じているか怪しかったけどとりあえず僕は椅子にかけて待った。
患者は地元民も多いが外国人もかなり多かった。しばらくすると診療室の前は患者さんで溢れかえっていた。

僕がぼーっとしているとMarryがやって来た。車の修理工場はちょうど道を挟んで向かいにあり1時間程で終わると言われてその間ここに来てくれたのだった。

ラダック語を話せるMarryがいるのはすごく心強い。ちょっとしたコミュニケーションを取るのにすごく助かる。

一緒に座っていたお坊さんがMarryと知り合いですごく親しいようだった。彼はこの病院のPersonal health recordを見せてくれた。

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通っている患者さんは皆でこれを持っているようで中には症状や処方箋がチベット語で書かれているのと、養生訓が英語でかかれていた。

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一時間くらい待っただろうか。順番がきて僕とMarryは診察室に入った。

雰囲気的に、チベット伝統医療について尋ねるだけでなくて何かしら診察をうけなくてはいけない流れになり
僕はティーンエイジャーのときから悩まされている慢性鼻炎を主訴にすることにした。

症状をだいたいつげると
「痰はからむか?」
「夜はしっかり眠れるか?」
「何か薬はのんでるか?」
「冷たいものはよく飲むか?」
と問診が続き

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Ampuchiの先生は僕の左手の脈を診た。
続いて右手の脈を診る。

先生表情は真剣そのもので、僕はそこに同じ医療人としての病と患者に対する「真摯さ」を見た。

診察が終わると先生はアンバランスが問題だと言った。

「火と水と、△×◯(聞き取れなかった)のバランスが崩れているようだね。薬を処方するから、朝昼晩しっかりすりつぶして飲むんだよ。噛み潰してもいい」

ラダックを去るまでにもっと欲しければまた来なさい。先生は少し笑った。

診療室をでるとそばにお金を支払う場所があり、200ルピーををまず支払うと薬と引き換えるレシートをくれる。

それを受付に渡すと棚にならんでいる数々の薬の中から薬を選んでくれる。

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「髭は、ここの伝統医療を信じる?」
Marryに聞かれて僕は言葉に迷った。
「信じる、ってなんだろうね。少なくとも僕はここの人たちが病気に対してどんなことを信じているのか知りたいと思うけど。」

効果を実感する以前に「信じる」という行為がくるというのが大切なのだろうか。

まったく違う文化の中で育まれた医療体系。
それが非科学的だったとして、何千年の歴史を紡いできた医療体系と、確かに存在する患者に真摯に向き合う医療人としての姿勢を見て、どうしてそれをただの「迷信」と切って捨てることができるだろう。


Marryが病院を去るときにさっき話していた僧侶にお金を渡していた。

あれはなぜ?と聞くと
「あのお坊さんの友達が末期のガンでね、彼がずっと世話をしているんだけど。包帯とか簡単な材料を個人的に支援してるんだけど…まあ、帰りに果物とか買っていってあげてねって。」

僕は、Marryがどうしてこの土地の人々にこんなに受け入れられているのか少しわかった気がした。

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車の修理は上手くいっておらずまた後日出直すことになり、僕らは家に帰った。

Marryは明日からネパールに現場視察にいくことになっており(もちろん来月にはまたここに帰ってくるのだけど)今日が彼女と話す最後の夜だった。

同い年で同じような考えを持つ彼女に出会えて僕は本当に嬉しかったし、ハードなマネジメント業務と歯科医師としての活動をこなしながらいつも笑顔を忘れない彼女を僕は尊敬している。


「彼女は天使よ。みんなにとってのね」
夜、別れを惜しんでいる僕たちに現地スタッフのるYang changがそういった。

書ききれない程たくさんのことをMarryと話して学んだ。

世界は広くて果てしないけれど、準備さえできていれば、出会うべき人には必ず出会うと僕はそう実感している。


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ちなみにチベットの伝統医からもらった薬はそりゃあもうおもいっきり苦かった。
良薬口に苦しもいいところだぜ(O_O)!