踊る髭の冒険

30歳を目前に仕事をやめて旅に出たナッカーサーが世界中放浪した果てにイギリスの大学院に留学するのかどうか、という毎日を綴るブログ。可能性迷子の毎日をお届けします。

パレスチナの話①

僕が2007年にパレスチナに行った時のことを書こうと思います。

 
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22才、ヨルダンから旅を始めて、エジプトのカイロから帰国するルートで三週間の旅をした僕はヨルダンの宿での「明日イスラエルへいかないか?」という旅人からの誘いに乗り、一路エルサレムへと向かいました。
 
ヨルダン、イスラエル国境はかなり混雑していて当時陸路で入国するのに6時間くらいかかった記憶があります。
 
なんとかイスラエルに入国した僕らは宿を見つけ、そこで1人の日本人の女の子と出会いました。
 
その女の子は僕より少し年上でイスラエルの大学に留学し、ヘブライ語アラビア語を操り、イスラエルパレスチナの間に立って何かできないか、と奮闘していました。Mちゃん(仮にこう呼びます)は僕らにイスラエルパレスチナの間に起こった、起こっている話を一生懸命してくれました。
数々の紛争の話、自分が体験した話を語り夜もふけたころ、彼女はいいました。
 
「明日、パレスチナのセルフィートという地域にいくから、一緒に行きませんか?」
 
その一言に、同じ宿の日本人が8人くらい集まって僕らは翌日パレスチナ自治区へと向かうことになり明け方のバスに乗り込んだのでした。
 
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イスラエルパレスチナの間には7mの高さの壁が立っています。こんなに物理的に「隔離」されているのをみてぼくは衝撃を受けました。パレスチナの人々はこれが出来てからの10年(当時でそれくらいだったと思う。)そとに出たことがない人が殆どなのです。
 
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壁の内側、パレスチナ側では壁にペイントされてるところが沢山あります。
 
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人々の自由を訴える声(だけではないかもしれません。このBlogでは僕が見たものを僕が編集している、という事実を頭に置いて下さい。)を絵に載せて訴えていました。
 
国境を守るイスラエル軍の兵士は皆若く、たぶん10代の子もいたと思います。バスの中でパスポートチェックをうけた僕に「お前ブルース・リーに似てるな!」と言ってきたので
「ホアッ」
と中華風拳法の声を出すと、笑ってくれたのを覚えています。彼らも普通の10代の笑顔をしていました。
 
バスは進み、僕らはまずパレスチナの首都ラマーラにたどり着きました。
 
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この町は、紛争の傷跡も生々しく、壁が戦車の大砲で撃ち抜かれていたり、おびただしい銃弾の跡が壁に残っていたり
 
僕が生きていた日常とは全く違っていました。
 
でも、思っていたよりも活気があって、よくテレビに映る難民キャンプのような雰囲気ではなく、ちゃんとした「街」がそこにありました。
 
ぼくは、なんとなく安心したのを覚えています。
 
ラマーラを後にして、バスは荒野を進み、僕らはセルフィートへと進んで行ったのでした。
 
オリーブ畑が荒野にまばらに広がっていました。
 
②につづく