踊る髭の冒険

30歳を目前に仕事をやめて旅に出たナッカーサーが世界中放浪した果てにイギリスの大学院に留学するのかどうか、という毎日を綴るブログ。可能性迷子の毎日をお届けします。

世界一周という言葉へ向けて。


「世界一周」という言葉は、僕が小さい頃はまだまだ一般的ではなく、ありふれた言葉でもありませんでした。

今は海外に行くことが比較的簡単になり、世界一周、一人旅、ワーキングホリデー含め海外経験のある若い世代は増えていると思います。

同時に「世界一周」は言葉として激しく消費された感があり、「みんなやってること」と捉えられるようにもなってきました。少なくとも現在は「やろうと思えば誰でもできる」ことだとは思います。

そんな背景があって最近では「世界一周」は「夢」として語られる事が少なくなりました。そんなもの夢でもなんでもない、できる、ことだから。

同時に「世界一周」は浪漫ではなく現実的な話として語られることが多くなりました。仕事辞めて旅に出て、それでどうすんの?とかそんな風に。(どの時代も現実問題としてはあったのでしょうが)社会に広く認知され、また叶えられる夢になってしまったことで人はそこに特別な理由を求めるようになったように思います。特別に向こう見ずな人達のものだけではなくなったからです。

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「目的意識もなく長期で旅に出るなんて現実社会からの逃避に過ぎない」という空気が日本の社会には蔓延しています。

そこに対応するように最近では「旅を仕事にしよう」とする人たちがあらわれました。ブログで稼いだり、いわゆる旅を情報として売ることで旅をしながら収入も得るひとたちです。

かく言う僕も社会人として、何か旅に「理由」を付けないといけないような空気に晒された1人です。

「留学」や「ボランティア」なんていうのは理由が必要だから付け足したようなものかもしれません。

しかし本当は、旅には理由はいらないものだと思います。行きたいからいく、いつだってそれが理由で、そうでなければ旅が許されないような空気はいかがなものかと僕は思います。


「世界一周」が一般的なものになってしまい、中身まで一般化されがちで、あらゆる情報と同じようにものすごい速度でそれらは消費されていきます。

でも当然のように一人ひとりの旅は違います。

「世界一周」という言葉がどれだけ消費され、すり減っていっても

放浪し、様々な場所へ赴き、人に会い、土地のものを食べ、見たことのないものに触れるということは

「浪漫」あふれること以外の何物でもありません。

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写真は2013年に僕がイランのエスファハーンで撮ったものです。

お腹の底がムズムズするような、ワクワクするような。

皆さんもそれを感じたら、それが旅にでる理由で十分なんじゃないかなと思います。


世界一周という言葉にむけて、僕なりに思っていることを書いてみました。

全然表現し切れてない気がするけどこのブログは基本的に自己満なのでよし。
また編集します。

今度からはぼちぼちと昔の旅を振り返ってみようと思います。