踊る髭の冒険

30歳を目前に仕事をやめて旅に出た髭の人が世界中放浪した果てに結局海外大学院留学せずに帰国→家族でベトナム ハノイ移住→その後ドイツで大学院卒業→現在はカンボジアでのらくら。

はじめに。

ナッカーサーという名前は僕が今までもらったあだ名の中で1番大切にしたいと思っているものだ。もちろんこれはダグラス・マッカーサーから来ているのだろうけど、名前をつけた友人はある日の深夜、深夜にしかないテンションで僕に名前をつけたのだった。ちなみに別に僕がマッカーサー元帥に似ているわけではなく、この名前に特に深い意味はない。

とある大阪の安宿での「俺、あだ名ってつけられたことないんだよね」から始まって「じゃあ、ナッカーサー!」までの流れを僕は生涯忘れることはないだろう。名前は人を活かす。それからこの名前は多くのものを僕に与えてくれることになった。

大阪で29年生きてきた。 高校生までを郊外ですごし、大学に進学し、歯科医師になった僕はその後5年間を勤務医として過ごした。

色々なことがあって研修医修了直後僕の人生は大きく揺れた。
これは今振り返ると誰にでも起こるような人生のなかでのアクシデントだったかもしれないが、当時の僕には大きな出来事だったのである。 この件についてはいつかまた書く時がくるかもしれないけれどとりあえず今は触れずにおく。

とにかく僕はそれまで「こう生きよう」と決めてきた道を一旦外れることになったのだ。 それから4年程たった。
その間僕は様々なことに挑戦した。
「自分が何をやりたかったのか」「自分のできることはなんなのか」そんなことを考えながら日々模索を繰り返してきた。

 そんな中でたくさんの人に出会った。

路頭に迷った僕を受け入れてくれたシェアハウスで出会った人々、たくさんのイベントを一緒に行った仲間たち、一眼レフを僕に教えてくれた人、写真を展示するチャンスをくれた人、その写真にアドバイスをくれた人、生きるをパフォーマンスする旅人、国際的に社会貢献ができるイベントを組む翻訳家、殺陣を世界に広めようと奮闘する人、発掘の仕事をしに来た韓国人、日本で就職せずマレーシアに就職した人、英語を教えてくれたドイツ人の親友、留学の夢に向かって目を輝かせていた若者たち、馬鹿馬鹿しいことが大好きな紙芝居屋さん、そして奔放な僕を理解して見守ってくれた職場の2人のボス。 

 ここに、全ての人を挙げることはできないけれど、僕は活動する中でこの社会に生きる本当に多種多様な人々と出会い、たくさんのことを教えてもらってきた。

根本的に誰かと自分の人生を比べることはできないし、選ばなかった道と今の道を比べることもできないけれど、いまの僕はこの人たちのおかげで、そしてそれ以前からずっと僕のことを支えてくれているひとたちのおかげで、自分の可能性にもう1度挑戦する姿勢をつくることができた。

 このブログはそんなナッカーサーが見つけた方向性「イギリスの大学院で医療人類学を学ぶ」にむけて、日本を旅立ち、辿りつくかどうか、それまでに体験する徒然を記録していく日記である。

イギリス留学までは一年間、世界中を放浪し、会いたい人に会い、見たいものを見に行くつもりだ。

 どんな方向に向かうか決めていても、思いもよらない風がふいて途端にすべてが変わってしまうかもしれなけど、それはその時、人生の妙味と楽しんでいきたいと思う。 

 出発は4月2日。 簡単だけれど、これをこのブログの序文としたい。 見てくれるあなたにも、この可能性迷子のちんぷんかんな日々を一緒に楽しんでもらえたなら、嬉しい。